日本の人口は、減少に向かう。
キレイな形で向かえばよいのだが、少子高齢化、という状態のままで減少に向かう。
今の高齢世代はおろか、これから高齢世代になるだろう我々が死に絶えるまではいびつな形で減少を続け、その後、人口が激減したうえで、キレイな形になるのだろう。
なので、今後はインフラとか住宅などは、余る一方である。
渋滞緩和や物流の効率化などで、現在でも道路を作っていたりするが、これも、そのうち余る。
我々が死に絶えた先には、渋滞のない世界が確立されているかも知れない。
走る側である自動車も、そのころには完全自動運転車両が普及していると思われる。
運転免許など不要になり、身分証と言えばマイナンバーカード一択、みたいな時代になるのかも知れない。
そこにもうひとつ、進化したインフラを加味するのであれば、通信回線である。
現在は5Gということらしいが、そのころには果たして何Gになっているのか。
すると、自動運転車両は、車両自体がまわりを見て、考えて運転するという自律走行型から、与えられた情報通りに作動する、通信制御になっているかも知れない。果てしなく進化を遂げた通信回線を使用し、どこかで一元的に管理運行するようになっているかも知れない。
そうなると、ますます渋滞が起きようもないわけで、自動運転車両と言えども、その走行速度を引き上げることが出来るようになる。一般道でも時速100㌔とか200㌔とかで走行するようになるかも知れない。
てことは、新幹線すら要らなくなるし、ローカル線も存在意義を失ってしまう。
問題は、自動車の購入にあたってまとまったお金が必要なので、すべての人が自動車を使えるわけではない、ということだが、どうせ無人の自動運転車両だ。むしろそこらじゅうにゴロゴロ置いておいて、いつでも誰でも使えるようにしてしまえば、究極の交通インフラが出来上がる。
だが。
ここまで妄想をしてみたものの、その通りには動かないのが、人間というもの。
いつまでもガソリン臭いレトロな自動車を、自分がハンドルを握って転がし続ける人もいるだろうし、自動車が現在の自転車以上に資産価値のない存在になることに、抵抗をする世代もあるだろう。
そんな人達をも見つめて政治は行うものだから、将来、交通事情はダイバーシティ、とてもバラエティ豊かな環境になるかも知れない。
寝落ち寸前の頭で書いています。