ドローンタクシー。
2025年ぐらいだったかの万博で、駅とか会場とかを結ぶ輸送手段として、研究・開発が進んでいるそうだ。
定められたルートを移動するだけのようだが、つまりは無人なわけで、完全オートメーションということだろう。
自動運転自動車を待たずして、人は空を飛ぶことになってしまうのか。
また、中国では、自家用ドローンを来年にも販売するのだとか。
確かに、私が子どもだった頃の「未来の車」は、タイヤがなく、地面に接地はしていなかった。
ただ、どちらかというと「地を這う」ようなイメージだったので、空高く飛ばれてしまうと、タイヤのない自動車というカテゴリをすっ飛ばして次に行ってしまうみたいで、ちょっと悲しい。
少し話は変わるが、社会には公共交通というものがあり、その中でも今は、電車という文化が、特に地方において、次々に廃されていくような事態になっている。
少子高齢化とか、産業の衰退とか、いろんな要素はあるものの、その中で「モータリゼーション」というのも、捨て置けない要素である。
つまり、電車からマイカーへ、である。
バスも、理屈としては同じで、電車より維持費、経費が安いから電車廃線後に配されるのだが、じゃぁそれでその路線が黒字化するのか、というと、随分と心許無い。つまりバスも、けして安定して持続可能なインフラではないわけだ。
交通、乗り物というのは、公共的な物から個人的な物へとシフトしてゆくのが必然なのだろうか。
既に地上では、電車という「乗り合い」から、マイカーという「個人の所有、個人の占有」へとシフトしつつある。
この方程式がなければ、利用する人は確保され、電車の存廃問題もなかったかもしれない。
電車の後が自動車ならば、個人で所有するドローンは、なんの後釜なのか、と考えると、単純には飛行機、旅客機である。
さすがにまだ地球を股にかけて飛び回るドローンはいないが、国内線ぐらいなら、駆逐できてしまう日も遠くないだろう。
まして、浪漫など関係なく、ひたすらコスパとかそういう側面で考えれば、おそらく自動車すらもシェアを奪われる。
なぜなら、完全自動運転であっても、山や谷に邪魔され、右に左にえっちらおっちら走っているような自動車では、時間的コストでドローンに勝てない。
まぁ、ドローンであっても、現在の自動車ほど普及してしまえば空の上で渋滞しているかもしれないが、山を迂回したり、橋に交通が集中したり、建物の隙間を縫うように走る必要がないだけ、時間的コストは少なくて済むだろう。
いずれにせよ。
完全個人で運用する交通手段が生き残るのなら、それはそれで良いと思う。むしろ私のような人間は、その方が気楽でよいぐらいだ。
しかし、ちゃんと、全ての人がその恩恵を受けられる社会であれば、である。
脱落者を見捨てるような世界になってしまったら、県からも町からも出れずに暮らす人が溢れることになる。
もし、ドローンが各家庭に普及するのなら。
日本家屋はグッと減るだろう。
特に都心部では、おそらくは建物の屋上が駐車場、いや、駐機場になる。瓦の三角屋根なんぞ、駆逐されてしまうだろう。
個人の交通は、二次元から三次元へ。
見届けることは叶わないが、いよいよ次のステップは、四次元の移動と猫型ロボットである。