kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

不惑。

自分が、なんのために生きているのか、と、考えることが増えました。

 

これは、人それぞれ置かれた環境も含め千差万別でしょう。なので、当然、正解はないわけですし、間違いもありません。ここではあくまで僕の場合、に限った話です。

 

 

僕の場合は、こどもの頃や若い頃に感じていた「自分が生きる理由」と、今感じている理由が、それほど乖離してはいないのですが、ではその理由をちゃんと果たし続けているか、というと、出来ていない。だから、なんのために生きているのか、という問いになり、それは、もしかしたら自分の思い違いで、本当の生きる理由は別にあるんじゃないか、という、自分への疑いや不信からくるものです。

 

生きる理由なんていうと大層なことのように聞こえますが、内容は本当に些細なことで、例えば自分のために生きるのか他人のために生きるのか、とか、お金が先か幸せが先か、とか、理屈か感情か、とか、そんな感じの話です。具体的な話じゃありません。

 

 

幼少の頃から、当たり前のように刷り込まれた考え方などもあります。

 

今、この歳になって、これが本当に僕で、僕の考え方で、僕の理想なのかどうか。それを、揺るぎのない自信を持って、一点の曇りもなく言えるのかどうか。

 

もちろんそこには、行き詰まりを感じている自分がいるのも確かですが、今まで理想とし、大事だと思っていたことに、実は窮屈さを感じていて、今やっと、その違和感に気付いた、なんてこともあるかもしれません。

 

不惑の歳は過ぎておりますのに、未だにこんな心の状態である自分に、もうひとつ、不信というか、落胆を感じております。