kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

初詣。

はじめに、能登地震において被害に遭われました方々、救助のために頑張っておられる方々へ、一日も早い安寧が訪れますことをお祈りいたします。

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皆さん、初詣はお済ですか?

もちろん、各家庭の方針がありますので、除夜の鐘を聞きつつ並んで、新年が訪れると共に初詣をする方もいるでしょうし、まぁ三が日内に行けば良い、という方もいるでしょう。初詣をしない、というご家庭も、あるんじゃないかと思います。


初詣、という行事には、氏神様へ、旧年中の感謝を伝えに行くこと、今年の幸いを祈願すること、などが含まれるとのこと。字面だけで考えれば、この一年で初めて参拝することになりますね。

神様への参拝、となると、神道の行事かと思いますが、世間ではお寺にも初詣は行きます。

歴史を遡れば、日本では「神仏習合」という考え方がかつてあり、神様と仏様は実は同じであり、時、場所により姿を変えているだけで、その本質は同一なのである、みたいな考え方です。

その後、それをまた神道と仏教にわける、ということも歴史上でありますけども、まぁ、なのでおそらく、初詣も、どちらを参拝しても、結果は一緒、という考え方なのではないでしょうか。


さて。

初詣は「氏神様」へ詣でると聞きます。

氏神様は、読んだまま解釈するのであれば、自分が属する一族、つまり「氏」の神であり、もっと言えば、血縁上の神です。

さらに幅を広げて考えると、昔は一族でひとつの集落を形成することが多かったでしょう。今でも、集落に住む人ほとんどが同じ苗字、なんていうところもあります。つまり、氏神様とは集落の神様ということであり、つまりはその土地の神様、土地神様ということでもあります。


苗字が皆同じ集落、という例えを出しましたが、さすがに、そういう場所は全国で見れば少なくなっているでしょう。

いろんな出自の、いろんな「氏」の人が、ひとつの村、町に住んでいます。彼らにとっての神様とは、かつて先祖が住んでいたかもしれない土地の神様というよりは、今、自分が住む土地を守ってくださる土地神様です。

そして、神様も、自分が守る土地に住む人を、氏に関係なく守ってくれるというのは、心が広いです。という言い方は、神様に対して不敬ですかね。


そのようなことをつらつらと考えていくと、初詣、というのは、つまり地元におわす、日常的にお見掛けする神様へ行うものなんだろうな、という答えに行き着きます。

若い頃は、そのようなことを考えたこともなかったですし、初詣というのは友達と遊びに出かける口実のようなものでしたから、縁もゆかりもない、遠くの有名な神社、お寺に行きがちでした。


そして、今の僕の悩みは、これは一定の人にとっても同じことなのですが、自分にとっての土地神様はどちらなのか、という疑問です。

僕は、S市出身で、実家もS市にあります。今はM市に住んでおりますが、家は借家で、そのうち実家に帰ることを前提に住んでいます。実家を出て暮らすことになった時から、ずっとそのスタンスです。


なので、僕にとっての土地神様、というのは、実家のそばの神様がしっくりきます。

今の住まいの神様にも、もちろんお世話にはなっておりますが、土地神様、氏神様、と言われると、どうも今の自分は仮住まい、なので今の土地神様にも、間借りしている、という気分が抜けません。


なので、昨年春に、コロナ禍による無音を気にして参拝をしたのですが、その時はどちらの神様も参拝することにしました。

今年の初詣も、よってどちらも参拝いたしました。

車で30分弱の距離ですし、本当に地元密着の神様ですので、元日の朝でなければ行列していることもなく、1時間もあればどちらも参拝出来てしまいます。


複数の神様へ参拝するのはどうなのか、という気持ちもないわけではないですが、そもそも日本は八百万の神様ですし、そのようなスモールハート、神様にはないと勝手に思っております。

プラス、願掛け、というわけではないですが、毎月参拝している神様が車で1時間強のところにありますので、半日かけて三社に参拝するのが、当面、僕の初詣のスタイルになりそうです。

自宅から1時間強の神様。ここは人気で三ヶ日内は確実に行列しています。