僕は、競争が嫌いでした。
いや、今でも好きではありません。
なので、競争要素があることは避けて歩いてきました。
しかし、残念ながら現代日本は、そこかしこに競争があります。
和を以て貴しとなす日本であっても、競争はあります。
なので、競うことをもとからしない自分は、おそらく周囲の期待を裏切って、だいぶ想定外の所を歩いていると思います。
ただ、考え方としては、競うことを否定をしているわけでもなく、どちらかというと肯定側じゃないかと思います。
つまり、勝てない勝負はしたくないし、勝つ自信も、勝つ努力もしないだけの話です。
むしろ競争の原理を多少でも知っているから、生半可に飛び込みたくない、という、保身みたいなものです。
こういうのは、鶏か卵か、みたいな話で、小さな成功体験が自信に繋がり、自信を培うことで新たなチャレンジが出来ると聞きますので、僕は、その機会が作れずにきたのでしょう。
むしろ、競争を避けて努力を怠ってきたわけですから、あれですね、なんか心理学でありましたね、こういう心理。わざと負けるように仕向けて、だからしょうがない、という、負けた時の言い訳にする、みたいな。
先ほども述べましたが、なんだかんだで現代日本であっても競争はそこここにあり、競争と無縁な生活というのは皆無に近いと思います。
なので、競争文化に馴染めないというのは致命的な欠陥で、じゃぁ競争のない世界に行けばよい、と思いますが、そのような世界は、あまり幸せがたくさんある世界には見えないわけで。
競争の裏にある共存。競争による高め合い。競争による友情。
もちろん、食うか食われるか、生きるか死ぬか、みたいな競争もあるのでしょうが、競争がもたらす、要素の全てを、僕は見てはきませんでした。
学歴や習得したスキルや知識、というものだけで人は測れないかもしれませんが、簡易的に人を測定する物差しではあります。ただ、これら物差しを得るには、競争や、それに向けた努力が必要です。
僕自身は、こうして心のなかで悶々と考えることや、逃げたことによる苦痛に耐えることも、努力のひとつだと思っていますが、まぁ、それはそういう人間の「言い訳」でしかありませんね。
そういえば、教育の現場において「順位のない徒競走」ブームがありましたが、あれはまだ続いているんでしょうかね。
いくら学校で競争を否定しても、飛び立つ社会には変わらず競争がゴロゴロある。
究極の話をしてしまえば、競争のない社会を実現するには、競争を肯定する社会との「競争」に勝たねばならない矛盾があります。
競争を良くないものとして刷り込みしてしまうと、僕がたくさん製造されてしまいます。
むしろ、僕のような人間を製造しないために、教育の現場では、正しい競争の在り方を教えてあげてほしいものです。