自分の中で変わった価値観として、電車やバスの空席に座るか否か、というのがあります。
ガラガラなら悩むことはないのですが、中途半端に混雑しているものの、ひとつだけ座席が空いているとか、シルバー席だけガラガラでみんな座らず立っている場合などです。
まず、座ったとして、譲る場面に遭遇したら面倒くさいというのがあります。また、空席を貪りやがって、と、なぜか白い目で見られるのも嫌です。
また、お年寄りが「ほらどけよコゾウ」みたいな態度で譲ることを迫ってくるのも、毒気に当たるので嫌です。
なので、よほど空いていない限りは、座らないことにしていたのが過去の自分です。
まぁ、もともと電車やバスに乗る機会が少なかったので、経験も乏しい中での意見です。それが、毎日通勤で電車やバスに乗るようになって、考えを改めました。
混雑の中で空席が残っていると、そのぶん、立ち客が溢れるわけですね。
一人が座れば、もう一人、乗れる。
だから、混雑の中では、若者だろうと健康だろうと、どんどん座ったほうがいい。
譲るべき人がそばにきたら、譲ればいい。譲るという行為は立つ人と座る人が交代するだけなので、乗客総数に影響はないですしね。
とはいえ。
斜め前の座席が空いて、すぐ側にいる人が座らないで立ち続けていると、それを押しのけて自分が座る、というのもなかなか勇気のいる行動です。
理屈で言えば、先ほど書いた通り、空席を作ると、そのぶん、乗ることが出来る乗客人数が減ってしまうわけですからね。座ったほうが、全員のためでもあるはずです。
この心理は微妙ですね。すぐ側に立つ人から、自分がどのように見えるのだろうとか、その景色をさらに外側から見ている第三者から、あ〜あ〜貪っちゃって、とか思われるのではないかとか、そういう気持ちですかね。
さて。
これからは、今以上に少子高齢化が進むわけで、極端に言えば、お年寄り同士の譲り合い、または奪い合い、みたいな様相になっていくわけですが。
そうすると、いっそ、立ち客は無しにする、というのもひとつの解決策ではあると思います。全員が座るなら平等だし、高齢者が立っているのはやはり心配になる場合もあるでしょうから。
ただし、コストや速達性など、いろんな角度で問題が起きます。
立ち客をなくしたら、車両1台あたりの収益は、現状の半分もなくなります。それでいて、乗り切れない客が増えるわけで、便を増発しなければならなくなるとなると、ますますコストが嵩んでしまいます。
結局、僕が行き着く結論はいつも同じで、完全自動運転の自動車が普及したら、これらの問題は全て解決となります。かならず座れるし、目的地まで運んでくれる。電車やバスよりもきめ細やかな移動が出来ます。
こちらの問題は唯一、自動車の価格でしょうね。結局、「庶民には買えない」のであれば、普及はしません。
自動車というのは安い買い物ではないですから、どうしても費用が捻出できない、という人もいるでしょう。また、ある程度普及したら、今度は、一部の買えない人を見捨てるのか、みたいな問題もありそうです。
ですから、例えば国や自治体からの助成金とか、または所有権を自治体が持つとか、安価でのリースとか、そういう方策が必要になるかもしれません。
だいぶ話が逸れました。
そんなわけで、座席には、座っていいんだよ、お若いの。君が座らないから、入り口付近でキワドイ姿勢で耐えている人がいるんだよ。君が座れば、あの人は楽に乗っていられることになる。
座ることもまた、譲り合いの一種であるかもしれません。