私は車好きなので、当然、バスも自動車としては好きなのですが、相変わらず、通勤手段としては、好きになれません。
子どもの頃のように、一番前の座席で、運転手の運転を見ながら乗れたら、もっと楽しいのかもしれませんが。イマドキの低床路線バスって、タイヤハウスの後ろに座席があるので、正面の景色は楽しめませんね。まして、優先席であることが多いので、積極的には座れません。
ただ、結局、私がバス通勤が好きになれないのは、車という要素はあまり関係なく、あくまでコミュニケーションとか、人同士の関係上の問題、乗降の仕組みの問題です。
私は、過去にあまりバス通勤、通学に縁がなかったので、多くのバス路線経験はないのですが、乏しい経験値の中で私が最も嫌う部分が、その、バス停の仕組みです。
終点、始発駅を除きますが、私の生活圏内のバス停は、たいがい1つの停留所で複数の行先があり、乗りたいバスを選んで乗るスタイルです。
ここまでは電車と変わらないのですが、電車と大きく違うのは、降りる客も乗る客もいないと、バスは止まらずに通過する、というところです。
逆に言えば、バス停に待っている客がいればバスは停まる。乗る客かどうかもわからぬままに。
ここです、私がバスを好きになれないところは。
電車は、乗降客がいようがいまいが、停車してドアを開け、時間が来たらドアを閉めて出発する。
無客の電車が無客の駅に停まって、ドアを開ける。そして、ドアを閉めて出発することすらある乗り物です。
そんなだから、客は乗りたい電車ではない場合、特に何をするでもなく、ボケッと待っていればいいだけですが、バスではそうは行かない。
乗降客がいなければ止まらないわけだから、バス停に私一人の場合、私が、乗るか乗らないかの合図を送る必要がでてくる。
あげくに、乗らないって合図しても、降りる客がいたらバスは停まるわけで、するとわざわざ合図を送った自分がバカらしく感じてしまう。
もちろん、そんなの気にせずシカトすればいい、という人もいます。ただ、私はそれ、出来ないんですよね。
利用客がいなければそのまま通過するということは、少なくとも時刻表オンタイムで走っているか、遅れているということです。早ければ時間調整で停まったりしますもんね。
なので、運転手としても、停まらなくていいなら停まりたくはないと思うんですよね。無駄なドアの開け閉めもそうだし、一度、道路の流れから外れると、また復帰するのに余計な時間がかかります。
この、運転手さんとのやり取りが嫌なんです。
運転手さんが嫌いとかじゃなく、そういうやり取りが必要なのが嫌なのです。
そして、各行先のバスは、なぜ一時に集中してダイヤを組むのか。
例えば、20分間隔なら、均等に分かれていてくれればいいのに、なぜか20分の中の5分の間に集中して何本も来るようなダイヤになっていたりする。
こっちは当然、保険をかけて数分前にはバス停に到着しているのだから、その5分の間に、何度も大きくバッテンを作ってアピールしないとならない。
朝の、まだ頭が寝ぼけている時からこれは、けっこうキツいんだな。
というわけで、気楽に待つことが出来るバスが現れるまで、私はバス通勤には馴染めなそうです。