kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

自分のものという感覚。

例えば、フードコートで荷物を置いて席を立ち、戻ってきたら知らない人が座っていたら、ムカッときますね。いや、怖いか。

 

駐車場で、バックで駐車枠に入れようとしていたら、後ろから来た車が頭から突っ込んで入ってきたりしたら、やっぱりムカッときますね。

 

 

でも、おそらく、本人は相手が立腹するとは思っておらず、むしろ、横取りした認識もないでしょう。相手がいる、という認識すらない。

 

意図的にやる人がいるのであれば、それは少しデンジャラスな匂いがしますので、絡まず距離を置いたほうがよいのではないかと考えます。

 

 

例えば、ティッシュひとつについても、自席に置いているティッシュを勝手に使われていたら、いい気分はしませんね。ボールペンなんかでもそうです。

 

例え会社から支給されているものだったとしても、どこかのラインから、それは「自分が貸与・支給されたもの」であり、また「他人が貸与・支給されたもの」になります。

 

それが正しいのかどうかは置いておいて、そういう感覚が共有できる人は、たぶん、勝手に使ったりはしないんだと思います。

 

なんで一言がないんだろう、と思ってしまうのは、正常な感覚なのか、それとも公私混同、ケチくさい独占欲の塊なのか。

 

 

まぁ、そのようなシチュエーションが先日あったわけですが、確実に、本人は「そのように扱われている物品」であることに気付いていない。

 

くれ、とか、貸して、と言われれば快く差し出すのですが、私が見ている前で当たり前のように使われると、少しイラッときます。

 

なんならそのまま自分の鞄にしまっていきましたよ。

 

「それがなぜそこにあるのか」すら、考えたことはないのでしょう。会社の備品が、そこいらにポロポロ落ちているわけじゃない。

 

 

これは、言葉もそうで、教えてほしいとか、そういう要望があれば声に出しますが、当然のように私が何か言うのを待っていたりすると、なんか違うなぁ、と。

 

本人は特に意図的ではないんでしょう。

 

言葉を出し惜しむつもりはありませんが、やはりキャッチボールは大切ですし、こちらが相手の意図を汲むにも限界があります。

 

さも「言わないあなたが悪いんですよ」みたいにすまして遠くを見ていたりすると、こちらも素直に言葉にはしたくなくなります。

 

まぁ、これは関係性とか、利害関係とか、そういうのもあるので、一概には言えないですがね。

日本には「あえて言わない」文化もあります。

 

 

そんなこんなで、私の物品を持っていってしまうその人は、今後も、そうやって調達していくのでしょう。

 

もしかしたら、在籍中、備品がどこにあるのか、誰に声をかけるべきなのか、知らないままかもしれません。

 

そして、くすねていること(本人に自覚はない)を糾弾されたら、「言わない(教えない)方が悪い」と言うのだろうな、と。

 

 

そんなことを考えながら、私が調達した使い捨てグローブ1箱を持っていくその人を、眺めておりましたとさ。

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言えばもらえます。