我が遺伝子を継ぐ女子、つまり娘が、高校受験を終えました。
けして頭が良い子というわけではありませんが、だいそれたことは出来ない子なので、全然勉強をしないで学校が決まらない、みたいなことはないだろうと思っていましたから、あまり心配はしていませんでした。
そして、僕自身がイマドキの「意識高い系の大人」ではないので、少しでも良い学校に行かせて、とか、そういうのは考えておりません。子育て、という意味ではイマドキの時流に乗っていない気はしますが、いつの時代も、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、やりたい、やりたくない、子どもそれぞれで変わらずにあり、むしろ環境や流行だけがコロコロと変わるものなのだ、と、我が遺伝子を継ぐ女子を見ていると思います。
ただ、やはり親という立場からの老婆心で、自分が歩んできた中で、失敗したなぁ、と思うことは伝えていきたいと思います。
それを聞いてどう思うかは本人次第だし、どうするかもまた彼女次第です。結局は自分で経験しないとわからない、ということもまた、親が子どもへ伝えたいことですもんね。親のアドバイスなんぞ、出来の悪い道徳授業みたいなもんです。聞き流されても仕方ありません。
さて。
あとは、残り少ない中学校生活をどのように過ごすか、ですが。
お父さんの経験からひとつ、アドバイスをするのなら、受験が終わって高校も決まったからと言って、あまりふざけすぎると、三学期の成績で「1」をもらいますよ。
受験も終わっての時期なので、進路に影響はないのかもしれませんが、もし、日頃は「1」という評価になじみがないのなら、やはり驚くし、ショックを受けます。相対評価であれば、当然、一定数「1」をもらう人はいるわけで、それが自分であっても不思議ではないはずなのですが。
僕は、中学生活が楽しかった人間なので、この、受験が終わってからの、ただ卒業するために過ごすような三学期というのは、その当時から甘酸っぱかったし、今、思い出してもやっぱり甘酸っぱい。
この甘酸っぱい数カ月を、とても良いものにしてほしくて、お父さんはいろいろとかける言葉を探すのだけれど。
まぁ、オジサンオバサンになってから、思い返してキュンとなれる思い出作りという意味であれば、そのまま甘酸っぱくしておいた方がよいのかも知れない。
それにしても。
我が娘が、数か月後にはJKである。
自分の顔の皺やシミを見る以上に、自分の年齢を痛感する事実です。