今週のお題「復活してほしいもの」
絶滅したわけではないのだが、絶滅がもはや約束されているような存在として、ガソリンエンジンの自動車がある。
併せて、最近少し復調の兆しが見えてきていたマニュアルトランスミッション(以下MT)車も、ガソリンエンジンと共に消え行くだろうことが予測される。
完全に絶滅する頃には、私自身、そのような車に乗りたい、という意欲もなくなっているかも知れないものの、やはり、寂しさを感じてしまう。
そんな中、昨年の春だったか、トヨタが、水素エンジンを搭載した車両で、24時間耐久レースに参戦し、見事、完走を果たした。社長の豊田章男氏が自らドライバーとして参戦するなど、水素エンジンへのトヨタの思い、というのを感じた。
水素エンジンもガソリンエンジンと同じ、いわば内燃機関エンジンで、まだまだ課題は多いものの、ガソリンエンジンと構造は似ており、それでいてカーボンニュートラルを実現できる。
開発陣の苦労を無駄にするほどざっくり省略して説明するのであれば、水素エンジン用の何かツールをくっつけたら、既存のガソリンエンジンが水素エンジンになるとのことだ。作りが同じなのであれば、実用的な意味合いはなくなっても、MT車は存続するだろう。
期待は、どうしても高まってしまう。
もちろん、ただ「荷物を運ぶ」とか「移動手段」という括りで見れば、モーターが動力で、アクセルを踏めば踏むだけ加速する電気自動車の方が、運転は楽だし、その分、交通事故も減るかも知れない。車を作るのに必要な部品点数も、ガソリン車に比べて減るとのことで、そこには経済的な課題が隠れてはいるものの、自動車という「道具」としては、モーター駆動の方が優れていると言わざるを得ない。
だが、自動車というのは、初めて発明されてから今まで、ただの「道具」としてだけ存在していたわけではなく、自動車のファンがいて、モータースポーツがあって、こだわりの車があって、ひとつの「文化」を形成してきたはずだ。
また、何十年も元気のない日本の中で、世界に真っ向勝負を挑み続け、常に存在感を示し続けているトヨタが、自動車の会社、というのもまた、何かの皮肉のように感じる。
まぁ、そういう「多くの人の浪漫」を詰め込んだ内燃機関エンジンの自動車を、肯定するも否定するも自由なわけだが、肯定する人の数は、おそらくこのまま何もせずにガソリン車を絶滅させてしまっていいほど、少なくはないと思う。
だから、ニッサン車のファンであろうと、マツダ車のファンであろうと、スズキ車のファンであろうと、このトヨタの挑戦には、少なからず拍手喝采したのではないだろうか。
ミッション、ギアという概念がなく、ブレーキペダルもないような電気自動車がスーッと走っている横で、前時代の匂いをプンプンさせながら、シフトノブをガチャガチャやっているMT車がいても、私はいいと思うのである。別にレースをするわけでもなく、ただ、普段のドライブをより楽しいものにしたくて、MT車を選択するのもいい。
これが車の楽しみ方であり、これが車好きの在り方なんだと思う。
おそらく、自動車を「道具」と考える人たちがこぞって「全自動運転車」を購入する時代になっても、それらの人は、相変わらず、自らハンドルを握り、シフトノブをガチャガチャ動かし、なけなしの給料を自動車のパーツにあてがい、やかましく走り続けるんだと思う。
私がジジィになって、もはや運転するような体ではなくなっていたとしても、街中でそのような浪漫の塊を見かけたら、
「おっ、いいねぇ~」
と、思わず振り返ってしまうだろう。
また、もし水素エンジン車の実用化が早まり、私の体がまだ運転に耐えられるうちに商品化されるのなら、将来的には、無理をしてでもセカンドカーとしてコンパクト水素エンジン車を買うかも知れない。
私は、レースをするわけでもないし、車いじりをするわけでもない。ただ、一般的なドライバーであるだけだが、それでも、内燃機関エンジンの自動車、そしてMT車の存続を願っている。