この季節は、夏の虫が最後の追い込みを迎えていますね。
夏の虫、と書くと、なんか風物詩というか、よい意味に聞こえてしまいますが、ここで言う夏の虫というのは、蚊とコバエです。
厳密に夏の虫としてよいのかわかりませんが、まぁおよそ夏に人を困らせる、という意味で、夏にくくっていますけども。
どちらも、気候の変化は感じ取っているのですかね。
特に蚊は、だいぶ必死です。通勤で使用しているバス停が、この時期だけはとてもじゃないけどバスを待っていられる環境じゃありません。
払っても払っても、怯むことなく付きまといます。
数分のバス待ちで、既に両手をやられました。
コバエは、夏というより条件が合えば発生しますので、冬でもエアコンなんかで暖かくしていて、湿度があって栄養があれば生まれてしまいますが、それが自然と揃う環境が、夏なんでしょう。
コバエがやっかいなのは、おおよそ家の中で発生するからですね。そこら中に止まりますから不衛生だし、視界の中でチラチラ横切るので不快だし。
涼しくなってきたし、もう大丈夫かな、と警戒を緩めたら発生してしまいました。
いずれにせよ、我々には不快でしかない虫たちですが、どんどん涼しくなる中でその必死さを増すのは、なんというか、命とか、生きるとか、そういうワードが頭に浮かぶなぁ、と思いました。
夏の虫と言えば、セミなんかもそうですが、必死になって子孫を残そうとして、それでも叶わず亡くなってゆく個体も多いことでしょう。
でも、わき目もふらず、その1点だけを見つめて必死になる姿は、学ぶべき姿勢なのかな、と思います。
なんせ、僕は「必死になれない」人間になりました。
競争をとことん避けてきて、それでも様々な課題があってそれを解決するために奔走していた頃がありましたが、それも不本意な形で終わり、そこからは何事にも必死になれません。
そんな僕だから、このような不快な虫たちにすら、どこか尊敬の念が生まれてしまうのかもしれません。