kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

見え方。

バス停でのこと。

 

同じ駅行きのバスが並んでいる。先のバスがバス停に停まり、乗口のドアを開ける。

 

僕の横にいた老人が乗りこんだが、僕は違う方面なので乗らずにいた。

 

そんな景色を、順番待ちしている次のバスの運転手も見ていたはずだが、僕が明確に「乗らない」と意思表示をしない限りは、無視するわけにはいかないのだろう。前まで来て申し訳程度に扉を開けた。

 

 

一応、僕は今の光景を見ていただろうと思っていたので会釈だけしたのだが、どうも合図としては足りなかったようだ。

 

ただ、運転手さんもある程度の確信をもってやっているようで、車両は完全には止まらず、扉も開き切ったか切らなかったか、ぐらいで閉じられ、実質、止まらずに過ぎた。

 

このバス停は学校が近いので、普段はそこの生徒がワンサと降りるのだが、気がつけばもう世間は冬休み。このバス停に僕さえいなければ通過できたのたろうが、僕の合図に不備があったせいで無駄なことをさせてしまったようだ。

 

 

とはいえ。

 

申し訳程度のドアの開閉は、逆にしない方がよかったんじゃないか、と思う。車両も完全停止していなかったのは、よくない。

 

あれでは「嫌々やってます」と見えてしまいそうな気がするし、ぶっきらぼうに見えてしまうんじゃないか。

 

まぁ、僕しか見ている人はいなかったかもしれないが、見え方って、大事だと思う。

 

自分へも、お客さんにも、会社へも。

 

その時々にはなんの影響もない動作や行動であっても、長期的な視野で見れば、プラス要素のきっかけぐらいにはなることもあるし、場合によってはマイナス要素として将来に影響がある可能性もあるだろう。

 

 

おもてなし、とか、心づくし、とか、そんな立派な話は僕には出来ないが、今回の話で言えば、僕が乗らないことはわかっていたとしても、ドアを開閉するときは完全停止するとか、ドアを開けたら1秒でも「開けた状態を保つ」とか、僕が乗るかもしれない、というのを前提とした動きをしないと、ただのやっつけで、形だけやっている、というのを「あえて」見せてしまっていることになるのではないか。

 

その姿勢にカチンとくる人はいるかもしれないし、そもそもが思い違いで、僕が乗ろうとしたら危ないし、乗車拒否とか言われてしまうだろう。

 

 

と。

 

僕が接客の何たるかを語れる立場にはいないが、そんなことを考えながら、遅れてやってきたバスに乗り込んだ。

 

 

そして、頭の中の疑問はすぐに次の話題に移る。

 

学校が冬休みになり乗客は減ったのに、なぜバス到着時間の遅れ幅は増えているのだろう、と。