願掛け、というんでしょうか、ジンクスと言ったほうが良いのでしょうか。
人によっては、何かをするときに必ずこれをする、とか、日頃からこういう時はこうする、という自分だけの法則があったりします。
極端に言えばスポーツ選手なんかだと、出番の際には必ずこれをやる、という動作や仕草があったりしますね。
日頃の生活の中でも、これはこうしないと気持ち悪いとか、こうしないと運気が下がる気がする、みたいな行動ってあったりしませんか。
階段は左足から登る、とか。
玄関は右足から出る、とか。
会社のデスクに座ったら、まずは電卓をこう置いて、パソコンをこの位置で、と、配置を同じにしないと気持ち悪いとか。
ちょっとうまく思いつかなかったので変な例えになってしまったかもしれません。
前置きが長くなりましたが、そういうのが僕にもあったなぁ、という話です。
あったなぁ、なので、今はやっていない、かつて僕ルールだったことのひとつ、というわけです。
僕は、昨年まで喫煙者でした。
さすがに煙の出る従来のタバコは生活環境的に吸えなくなりましたので、最後の5〜6年はIQOSユーザーでした。
で。
IQOSのタバコ、葉っぱ部分ですね、これは20本で1箱です。蓋を開けると、中身は10本ずつ左右2つに括られていて、湿気を防ぐためか、左右それぞれ銀紙でカバーしてあります。
それをピッと取り去って、中から1本ずつ取り出して喫煙するわけですが。
その、左右に分かれているうち、僕は必ず右側から開けて吸う、というルールがありました。
これは、何かのきっかけで、右から開けたら、仕事で発生するトラブルが減った、と感じたタイミングがあったからだと記憶しています。
それまでは、意識していたわけではないですが、おそらくほとんど左から開けていましたので、より印象的だったのでしょう。
喫煙習慣がなくなり、そのようなマイルールを実行する機会がなくなりましたが、さて、僕の運気はどうなんでしょう。
今のところ、意識してそれに代わるマイルールはないと思います。
安心するためには、そういうもののひとつぐらいは、かえってあった方が良いのかな、と、少し思ったりしています。
例えば、幼児が肌身はなさずぬいぐるみを抱っこしていて、そのことで精神的な安心を得ているとか、そんな感じですか。
マイルールがあることで、特定の何かに対してでなくとも、安心を得たり出来るのなら、そのマイルール自体が、お守りのようなものです。
逆に、今までマイルールに守られてきた人が、それを失うことにより精神的に不安定になってしまうのなら、ちょっとぐらい恥ずかしい内容でも、マイルールのひとつぐらいはあった方がよいのかもしれません。
僕は、マイルールのひとつを失ったから、というわけではないと思いますが、以前よりも、生活のルーティン化を求めるようになりました。
昔は、ルーティンが大嫌いだったものです。毎日が同じなんてウンザリだ、と思っていたものです。
それが、今はルーティン化を率先して求め、ルーティンであることに安心を感じるようになりました。
何時何分にベッドから出て、まずトイレに行って、そのあとコーヒーを入れて。何分になったらシャワーを浴びて。そのシャワー中も、どこから洗うというのが何となくパターン化していて。
ま、多分に年齢というのもあるんだと思いますが。
生活すべてがマイルール。
マイルールにすっぽりと包まれて、人は安心を得るのでしょう。
だからこそ、それを失う時、というのも考え、構えていないといけないのかもしれません。
嫌だ嫌だ、と思っている、仕事のために毎朝外に出る、という習慣というか義務も、なくなったらどこか気持ちが不安定になるのでしょう。