kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

継続中。

あ。


禁煙して6ヶ月目に突入しました。

 

年が明ければ半年経過、ということになります。


禁断症状とか離脱症状だとか、そういうのを過ぎたら吸いたくもなくなるんだと思っていましたが、案外そうでもく、今でも、吸いたい、という思いは存在します。

 

何度か書いているように、禁断症状、離脱症状というものが、僕はあまりなかったので、この、吸いたい、と今だ思わせる原因は、心理的なものです。

 

 

煙草を吸いたくなる、というのは、あの、肺にドシンとくる感覚を味わいたくなる、というのと、だいたい同義です。


また、吸いたくなるきっかけも、外で煙草の匂いを嗅いだから、とか、美味しそうに吸っているのを見かけたから、とか、そういうことではなく、過去の自分が吸ってきたタイミングに感じるので、まさに自分の心のクセのようなものです。

 

 

心が求める、喫煙の良さは何なのか。

 

例えば、喫煙をしていると、煙草を眺めているだけで、時間がつぶせるものです。


まるで、だんだん短くなってゆく線香や、ろうそくの火を眺めているような感覚で、微細な空気の流れで明滅する煙草の火は、人を飽きさせません。

 

また、ゆらゆらと立ち上ってゆく煙は、これまた微細な空気の流れで形や向きを変えます。

 

思えば、身の回りで煙を眺めること、というのは、ほとんどありません。僕が住む地域は、焚火なども禁止ですから、火があり、煙がゆらゆらと空までのぼっていくサマは、日常的には、煙草しかありません。

 

この煙を眺めるのもまた、暇つぶしには持ってこいですね。

 

だから、スマホがなくても時間が潰せます。スマホ中毒と比べたら、どちらがマシなのでしょう。残念ながら、僕はスマホ中毒ですが。

 


他に、煙草ならではの感覚としては、先ほど「肺にドシンと来る」と表現した感覚です。


一部ではそれを「キック感」と呼ぶらしい。

 

まさに、その感覚だけを評価するのであれば、肺を痛めつけている感覚です。一口ごとに、あぁ、肺胞が死んでゆくなぁ、と思える、痛みにも似た何かです。

 

世間では、禁煙に向けた活動、ツールのひとつとして、蒸気などで「吸った気になる」禁煙グッズとか、フレーバーがありますが、これらは、キック感をいかに疑似的に味わえるか、というところがポイントのようです。あくまで、喫煙者が煙草の代わりに吸う場合、ですがね。


ですが、これらは結局、疑似的でしかないのです。

 

蒸気による偽のキック感は、例えるなら、低音がカットされたハードロックを大音量で聴いているような感じ。または、馬力はともかくトルクが全然ない車やバイク、という感じ。ビールなどで言えば、ひたすらキレだけでコクが全くない、という感じでしょうか。

 

なので、僕が表現する本物のキック感というのは、肺に「刺さる」「斬られる」というよりかは「ドシンと来る」という表現になります。

 

まぁ、これはそれなりに中毒ゆえの求めかもしれません。

 


これら諸々が絡んで、喫煙時の至福のひと時になる。


喫煙人生最後の4~5年は電子煙草でした。電子煙草では火も煙も楽しめませんので、この中で味わえたのは、せいぜいキック感ぐらいでした。


電子煙草のキック感については、だいぶ時間的に我慢した後に吸った際には感じることが出来ましたが、普段ではなかなか感じられなかったです。それだけ弱い、ということです。

 

火をつけて煙を吸う「紙煙草」と違い、電子煙草には「濃さ」の選択がありません。


確か、厳密には「ニコチン〇mg相当」みたいなことが、ネットのどこかに書いてあったような気もしましたが、パッケージにそのような表記はなく、また、濃さによるバリエーションはありません。それでも種類がたくさん並んでいるのは、全てトッピングされているフレーバーの違いのようです。


セブンスターが濃くて、次にマイルドセブンがあって、その下にマイセンライトがあって。


マルボロが濃くて、金マルボロがあって、今は白マルボロもあるんだったかな。

 

紙煙草には、このような濃さによるラインナップがありましたし、どれを吸うかによって、何かしらの自己主張が出来ていたのかも知れません。

 

よく「あいつ〇〇吸ってんだぜ」みたいな会話があったような気がします。または、その人が初めて喫煙するシーンを見た時、「あ、この人はこれを吸っているのか」と、その銘柄で人柄を感じたりしたものです。

 

まぁ、どの煙草がどういう意味を持つ、みたいな明確な情報源はないので、おそらく、住む地域や関わるグループなどにより、その意味は違うのでしょうけどね。

 

ラッキーストライクがカッコいいと思っていたら、最近知り合ったグループはオヤジ煙草だとバカにしていた、とか、そういうことがありましたし。

 

 

あれ。

煙草を懐かしむ話になってしまった。

 

これもまた、僕が「吸いたい」気持ちを捨てきれていない証左なのでしょう。

 


いずれにせよ。

吸いたい気持ちがある、と言っても、禁断症状のような欲求ではありません。なので、我慢しようと思えばできますし、我慢とはまた少し違う感覚のような気もします。


最後、禁煙に至るまでの半年ほど、色々と試したのが懐かしく思い出されます。


僕が禁煙をした直接の目的は「お金の節約」なので、もともとは禁煙まではせずに、安く喫煙する方法がないか、と探していたのです。


フレーバーとニコチンを交互に吸うために、安いフレーバー機を買ってみたりしました。煙草よりフレーバーの方が安いのでフレーバーをかませることによる消費煙草が何割かでも減れば良いかなぁ、と。

 

また、紙煙草を切り刻んで「加熱式煙草」として吸える機器を買ってみたりもしました。これは、紙煙草一箱で、通常の喫煙の3倍ぐらい吸える、というものでした。


1本を3分割し、それを機器にセットして加熱し、その蒸気を吸うんだったと思います。

 

こちらは、とにかく準備とメンテが面倒で、そのうちやらなくなってしまいましたね。多分、普通に電子煙草を吸うよりかは、コスパはよかったんでしょうけども。

 


いかん、また「良い思い出話」になってしまっている。

 

これが、中毒というやつか。

 

いや、禁煙は、今後も継続してゆくつもりですよ。

社会的に、百害あって一利なし、ですな。