kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

はてなブログ「今週のお題」

今週のお題「書いてよかった2023」

別に、書いてよかった、ということではないのですが、我が人生において大きなターニングポイントです。
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そう、今年は、僕の「禁煙元年」なのです。


2023年6月13日午前9時30分頃のタバコを最後に、僕は禁煙を致しました。

今は12月なので、およそ半年が経過しておりますが、継続をしております。


二十数年(法に引っかからない計算です)の喫煙生活を捨てるというのは、非喫煙者からすればそう大きなことでもないのかもしれませんが、喫煙者からすれば、大きなターニングポイントです。二十数年の歴史を終焉するわけですからね。

例えば、40歳であれば、二十数年というのは、人生の半分以上です。つまり、配偶者よりも長い付き合いなわけです。

二十数年とは、喫煙開始時に子が生まれていれば、その子が成人しています。それほどの年月です。


いずれにせよ、これをやめる、というのが、どれだけその人にとっての「変化」であるかは、数字だけでもわかっていただけるものと思います。

昭和生まれにとっては、タバコを咥えるというのは、ニヒル、ハードボイルドなど、プラスの要素がたくさんあったわけです。
そんな、映画などの影響があり、喫煙してよい年齢になる前から「咥えて」いる人が多いわけです、僕世代は。

タバコというのは、配偶者以上に、その人のそばに寄り添い続けた、思い入れのある品であるのです。


僕自身は、親父が吸っていたキャスターから入り、赤マル、金マルが全盛期で、JPSを試してみたりしつつ、ラッキーストライクなどを経て、最後は煙の少ないメビウス(旧マイルドセブン)の細いやつ(煙少ない)にたどり着きました。さらに、仕事上でタバコはまずいということで、電子タバコ、アイコスに走り、今に至ります。


僕個人の、タバコについての意見を申し上げます。

禁煙を達成する大きなポイントは、知らず形成されたマインドコントロールの打破です。

特に今は、喫煙できる場所、というのは限られています。つまり、喫煙できる環境においては「喫煙しておかないと後で困る」というのが、喫煙者の心理描写のひとつです。

電車で駅に到着すれば、駅の喫煙所で吸っておかないと、この後どこで吸えるかわからない、とかですね。

普段も、喫煙所を見かければ「吸っておこう」という気持ちになりますが、その理由は、この後、吸える環境があるかどうか、わからないからです。むしろ。吸える環境はない、と覚悟しておくのが、現代風の考え方です。


この「吸っておかねば」というのが、禁煙をする上での、大きなネックになる感情というか、心の動きだと思います。


外では、確かに吸う場所というのは限られています。

都心部になると見渡す限り禁煙で、吸える時に吸っておかないと、死活問題であるのは確かです。


ですが、冷静になってみましょう。吸えなくなるのは、本当に死活問題なのでしょうか。

我々は、喫煙できる場所を知っています。

今、近辺にそのような場所はなくとも、あそこまで移動すれば吸える、地元まで帰れば吸える、というのは知っています。

例えば、都内のコンビニは灰皿を撤去しているところが多いですが、郊外では、まだまだ喫煙できるコンビニは多い。


つまり、冷静に考えれば、吸えない、という環境にはないのです。

ただ、昨今の締め付けによる「吸える場所が限られているから、吸える時に吸っておこう」という心理が、「吸えるなら吸う」となり「吸える場所では吸っておく」となるのが、中毒の原因であると思います。


このマインドコントロールから脱すると、意外と禁煙というのは出来ます。

禁煙ができずにいる皆さんがいるとして、その多くは「ニコチン中毒」ではないのです。

「吸っておかないと損をする」「吸っておかないと後悔する」という、心理的な要素が、禁煙を妨げているのです。


さて。

信じるか信じないか、は、皆さん次第です。

僕自身はこのように、おそらく法的に許される以前の年齢から喫煙をしており、二十数年にわたり、ヘビースモーカーとして認識されており、むしろ「〇〇さんと言えばタバコとコーヒー」というぐらいの揺るぎない立場を獲得してきた人間です。

それでも、中毒とは無縁のところで禁煙しました。というか、僕は、これだけの喫煙生活をしてきて、中毒ではなかった。むしろ、禁煙を妨げているのは、心理的要素でしかなかったのです。思い込みや、先入観を捨てるのも、禁煙に向けた活動の有意義なひとつであると思います。


そんなわけで、喫煙者を裏切った、僕からのコメント。

タバコを辞めることは、マインドコントロールされていた自分に気づき、それを打破すること。

タバコを「吸わなければならない」と決めつけているのは、実は、タバコが自由に吸えない社会が生み出した、喫煙者の被害妄想なのだ。

「ここでは吸えない。だから、吸えるところで吸っておく」というのが、やめられない心理のひとつだ。

考えてみてほしい。必ずいつか、自宅には帰るものであり、自宅または自宅近辺には、喫煙できる場所はあるだろう。

喫煙できない環境に出向いたとしても、一生吸えないわけではない。帰宅すれば、吸える場所に帰れば、吸えるのだ。


そういうノリで、外でのタバコを控えてみてほしい。帰宅すれば吸えるのだから。

すると、「耐えられる自分」に気づくだろう。

実は、中毒などではないのだ。単純に「もったいないから今」というのが、やめられない心理なのだ。


あなたは、1年後でも、2年後でも、吸おうと思えば吸える環境を持っている。

今、吸わなければならない理由なんてない。

だから、じゃぁ、ためしてみよう。自宅以外で、吸わずに過ごせるか。


過ごせちゃうんですよ、これが。