趣味や、何かしらの活動をしようとするにしても、自分の年齢を考えてしまいます。
そして、尻込みをしてしまったりします。
その一番の理由って何なのだろうなぁ、と、自分の心を探ってゆくのですが、一番の理由というのは「サマにならない」からなのかもしれない。
なかには、中年以上の円熟味をもって、やっと味が出る、という分野もあるのかもしれませんが、多くの場合、頭の中で妄想する「何かをした自分」というのは、おおよそ二十代から三十代までではないでしょうか。
これは、それをしている年齢、という意味ではなく、それをしている自分を頭の中で再現した場合の、自分の外見の話です。
妄想の中の景色は、自分目線なので、自分自身の姿が映り込むことはありません。
もし、妄想の中に鏡があり、輝いている自分を客観的に見ることが出来たら。
そこには、自分の中で最も容姿が良かったとされる頃の自分や、場合によっては「過去にも未来にもいないカッコいい自分」かもしれません。
中年太りをしていないお腹まわり。下がっていない顔の皮膚。
豊富で艷やかな黒髪を風になびかせ、動作のひとつひとつが軽く、いちいち「どっこいしょ」などと言わない。
そんな自分で再現されるのかもしれません。
特に、子どもの頃から妄想していることは、中の自分が年老いることがありません。
子どもの頃は、カッコいい大人の自分を妄想し、いつしか妄想の年齢を超え、今では自分の子どもぐらいの年齢の自分で妄想をしているかもしれません。
ひとつ例を出せば、僕は車の運転が好きなので、常に運転が楽しいスポーツタイプの車が欲しいと思っています。そんな車で峠をドライブする、という自分を、子どもの頃から妄想しています。
妄想の中では、峠道の途中の、見晴らしのよい駐車場に車を停め、車に寄りかかりながら、タバコを咥えて景色を眺める、というシーンが出てきます。夕闇に、または山間部の霧にタバコの煙が溶けていき、あたりはどこまでも静かで。
そんな妄想シーンにおいて、僕の容姿は、カッコよく再現されます。
今からそれを達成しようと車を購入し、同じことをしたとしても、その見晴らしのよい場所でタバコをくゆらせる自分は、お腹が出っ張り、髪の毛は元気がなく萎れており、背中は丸まり腰が伸びきっていない、年老いた自分でしか再現できません。
スポーツタイプの車は車高が低く、乗り降りひとつで「どっこいしょ」「よっこいせ」と言わざるを得ない。
そこに気付くと、今からそれを達成することについて、尻込みをしてしまいます。
また、年齢制限があることの場合、それが可能な残り時間を考えても、躊躇してしまいます。上記した車の運転などの場合、いつか運転が出来なくなりますので、残された時間は、思っているより短い。子供の頃は永遠に続くと思っていたものですがね。
それでもなお、踏み込んでみる、というのが、大人の趣味探しなのかもしれません。