今週のお題「苦手だったもの」
夜、寝る時につけていた、常夜灯。
あれは苦手でしたね。
子どもの頃の話なので、寝る時に真っ暗はこわいわけです。
だから、何かしらの灯りがついているのは有難いはずなんですが、なぜ、常夜灯はあんなにも淋しげなオレンジ色なんだろう。
子どもながらに、なんかとても悲しく、切ない気持ちになってしまったものです。
そこから掘り下げていって、生きるとは、死ぬとは、みたいな所まで頭の中が突っ走ってしまい、眠れなくなるということがよくありました。
常夜灯。
一晩中点灯しておく灯りで、おそらくは夜中、暗い中での安全確保とか、そういう意味合いなのだと思います。
災害というよりかは、トイレに行く時などに、真っ暗だと足元が見えず思わぬケガにつながる、とか、そういうことなのでしょう。
なので、今はおしゃれに足元灯(?)を設置していることもあるだろうし、間接照明タイプで刺激を少なく部屋を照らすものもあるでしょうが、今回、私が言っているのは、あの、部屋の中央からぶらさがっている蛍光灯についている、あれです。
とにかく、見つめていると悲しくなるので、いっそ真っ暗の方が良い、と思い、いつからか真っ暗で寝るようになりました。
その後、お年頃になってからは、寝落ちするまで読書していたりゲームしていたりとか何かをしていたものですから、そもそも部屋を暗くして寝る、ということがほとんどありませんでした。
で、結婚を機にまた、暗い中で寝る、という習慣が戻ってきていますが、子どもの頃の癖というか、なんとなく常夜灯が懐かしくて、真っ暗ではなく、あえて常夜灯をつけて寝る、ということをしたりしています。
今でも、切なくなるのは変わらない。どこかさみしくなる気持ちも変わらない。
でも、それをどう受け止めるのか、は、子どもの頃とは大きく変わったようです。
むしろ、そこに何か心地よさのようなものを感じてしまうのですから、真逆とまでは言わなくとも、だいぶ印象が変わりました。あの頃が幼かったのか、今が老いてきているのか。
ただ。
さみしげなものというのは嫌いじゃないはずで、おそらく常夜灯は寝る時のことだから、他に考えることもなくてあれこれ考えすぎてしまい、むしろその思考がこわかったんだと思うんですね。
私の中で、同じくさみしげな灯りに属するのが、住宅街の小さな交差点の、ちょうど真ん中に埋まっている注意灯(?)です。
音もなく一晩中、誰もいないのにずっと、チカチカと交互に照らしています。視認性がよく遠くからでも見えるので、より一層、あたりの暗闇とのコントラストが妙にさみしい。
あれなんかも、夜中にやることもなくずっと眺めていたら、ちょっと悲しい気分になるんじゃないだろうか。
なので、もうちょっと拡大解釈すれば、深夜に、人通りが全くないところの信号なんかもそうかもしれない。誰に対してでもなく、ひたすら青・黄・赤を繰り返している。今、こうして自分が自宅にいる時にも、その信号は、そこで、相手もなく青・黄・赤を繰り返しているのがせつない。
なんか、話が逸れてしまいました。
そんなわけで、子どものころは常夜灯が苦手でしたが、おそらくあれは、常夜灯自体ではなく、それをもとにあれこれ考えてしまう自分の思考が、苦手だったのでしょう。常夜灯自体は、そのせつなさが、おそらく子どもの頃から、嫌いではなかったと思うのです。
さて。
余談ですが、なんで常夜灯はオレンジ色なのか、を軽く調べてみました。
オレンジ色は、瞳孔を収縮させないので、暗いところの視認性が確保しやすいのだとか。
つまり、寝起きで常夜灯の灯りが目に入ってきても、眩んだりせずに、すぐに周囲を視認することが出来るというわけですね。
そうか、だから車道のトンネルの灯りもオレンジなのか。運転中では、目が眩む、というのは危険ですからね。
確かに、トンネルの灯りも、ずっと目的もなく見ていたら、確かにさみしげで、せつなくなるかもしれんなぁ。
私にとって目に優しい灯りは、せつなくなるようです。