kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

ことわざ。

便りがないのはよい便り、と言いますね。

 

現代は、どこへでもあっという間に行けてしまう時代なので、あまりしっくり来ない言葉かもしれないですね。

 

思えば、昔、祖母が一泊で旅行していた土地から毎日通勤してくる人がうちの会社にはゴロゴロおりますが、それも交通機関が発達したおかげなのかもしれません。

 

 

さて。

 

この、距離感というか「遠さ」というのは、物理的な距離には留まりません。

 

気持ち、心が遠くなる、というと、なんかさみしい表現ですが、そういうこともあるでしょう。

 

また、時間的に遠くなる、という考え方もあります。

 

物理的な距離は変わらずとも、連絡する時間が取りにくくなる、という感じですか。

 

それでも、どういう理由で無音となっているかがわかっていれば、さみしいものではありません。

 

むしろ、頑張っているかな、とか、楽しんでいるかな、とか、その人の幸せを願う方に考えることが出来ますからね。

 

 

そんなわけで、前フリが長くなりましたが。

 

こういう関係は、ブログ上でも成り立つな、と感じます。

 

書き手と読み手の、コメント欄での交流でもいいですし、ブロガー同士の交流でも良いですが、それが日常化しているほど、理由もわからず不在になると、親しかった、というほどではなくとも、さみしさを感じるものです。

 

逆に、ブログ内容やコメントから、ある程度の事情が汲み取れれば、さみしさよりも応援、または心配が先に立ちます。

 

 

僕は、ブログを書かれている方と交流をしているわけではありませんが、勝手に親密だと思っている人たちがおります。

 

そして、そんな中で、現在はブログでの活動が控えめでいらっしゃる方々もおられ、まさに「便りがないのは良い便り」と思うことにしております。

 

ある方は、職場で重要な仕事を任されたのか、または何か決意をなさって”自分の仕事"に取り組むのか、忙しくなるだろう余韻は残されておりましたので、僕としてはしばらくお見掛けしていなくとも応援したい心持ちでおります。

 

また、ある方はフリーランスというか個人業の方でしたが、あぁ、本業が忙しくなられたんだな、とわかりましたので、やはり応援したい心持ちです。

 

強く大きな使命感をもって新たな仕事に飛び込んだ方もおられます。

 

 

そして、今ではないですが、もしかしたら、近くそのような変化があるのだろう方もいらっしゃいます。

 

これは、けして悪い意味ではなく、どちらかと言えば良い意味で、新しい環境に飛び込んで夢中になるとか、充実した忙しさに没頭することになるとか、そういう意味です。

 

 

僕の、隠れた願望の裏返しなんでしょうね。

 

自分の、実はしたいこと、やりたいことについて、内容は違えど一歩を踏み出し挑んでいる姿は、僕のように挑戦を諦めて、いかに無難に過ごすか、に腐心しているような人間にはまぶしく映りますし、その未来が良いものであることを祈りたいし、祝福したいと思うのです。

 

 

ま。

 

僕は特殊能力はありませんので、僕の”祝詞”にはなんの効果もありませんが、まさに第一歩を踏み出した人もおられるし、これから踏み出そう、という方もおられますので、スマホ画面の向こう側からひっそりと、成功をお祈りいたしております。

時代はメールやSNSですがね。