運転免許は、MT免許だ。
仮に、これから免許を取ろうという若者が現れても、私はそのように言う。
カッコいいとか悪いとか、男の浪漫とか、そういう話ではない。
MTが乗れて、ATが乗れない免許なのだとしたら、よく考える必要もあるだろう。
だが、私の記憶の限りでは、MT免許はAT免許を包括しているはずである。
簡単な話である。
これから免許を取ろうという若者は、この先、何十年の人生がある。
その人生の中で、どのようなことが起きるか、わからないではないか。
もう起きないだろうと思われていた、大国による戦争が勃発し、また、別な大国が武力をつかうぞ、という牽制を行っている。それに対し、米国や欧州も反応している時代だ。
これから、戦争、武力紛争といったことが、世界規模で起きないという保証は、過去数十年よりも少ないのではないか。
そんな中、このグローバルな時代に、日本国内だけで一生を終えることは少なくなるかもしれない。日本は少子化で、これから経済規模も縮小していかざるを得ない。それは他国が日本を追い抜き、台頭してくるということでもある。永住したり、居を構える、ということがなくとも、日本国外でなんらかの生活、活動を行う可能性はあるだろう。
そんな中で、様々な要素が偶然的に重なり合ってしまったら。
まわりの人達とは言葉が通じない異国の地で戦争が勃発し、砲弾の雨が降り、街がどんどん破壊されていくような環境。この国の兵は防衛体制が間に合っておらず、とにかく今は、この場から逃げなければいけない。
敵兵がせまっており。急いで街を脱出する必要がある。
目の前に自動車が一台。キーがついている。避難者の車だろうか。
この車を借りてしまえば、いち早く敵兵から逃れ、この街を脱し、大使館までたどり着けるかも知れない。徒歩で逃げていては、まず助からない。ここは仕方ない。拝借しよう。
って、この車、MT車じゃないか!自分には運転できない!
「…ということになったら困るから、MT免許にしておきなさい」
と、私は進言するのである。