kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

自動運転車両についての妄想。

そう遠くない将来、といっても、私の寿命が持つかはわからない程度には先のことだが、いつか、自動車というのは完全な「自動運転車両」が一般的となる時が来るだろう。

運転装置はなくなり、完全コンピュータ制御で、目的地を指定すれば、乗っているだけで連れていってくれる。
世間から「運転免許」という資格もなくなり、老若男女、誰でも使用することが出来る。


本当にそんな社会になるのかどうか、というのはわからないが、目指している景色であることには違いないのだと思う。
むしろ、人類というのは、思い描いた理想を形にしてここまで発展してきた。そう考えると、これもいつかは実現できるものなのであろうし、もし、障害があるのだとしたら、それはおそらく、私みたいに「ギアをガチャガチャやりたい」「ハンドルをぐるぐるしたい」という、いわゆる運転愛好家が存在することであり、それが「普及率100%」を妨げるのであろうと思う。


自動運転車両が100%普及したとしたら、おそらく、交通事故は激減するだろう。
特に、車対車というのは、ほとんどなくなるのではないだろうか。
例えば、無線通信において、現在では5Gだの6Gだのと騒いでいるが、さらに進化したこれらインフラを活用すれば、現在、自動車に搭載されているカメラやセンサーなどにくわえ、通信で全自動運転車両の統制も図れるわけだから、自動運転車両同士の事故というのは皆無になるだろう。事故があるとすれば、対人、つまり統括制御されない存在が関わる時だろう。

また、このようなリンクは、犯罪抑止にも役立ち、犯行後の逃走に車両を使うことが出来なくなる。
どんなに急いで国境を突破したくとも、車は完全自動運転なので、制限速度は守る。信号も守る。歩行者に道を譲る。
また、各車両の走行履歴にアクセスすれば、犯行時刻に犯行現場から動き出した車両の特定が可能だ。また、無線通信で搭乗者情報が収集されていれば、それだけで犯人は特定されてしまうし、特定できれば、警察から無線通信で指示を送り、該当車両の目的地を警察署に書き換えてしまえばいい。検問も不要になる。


このように、自動運転車両は、現在の車両に混ざって使用するとかえって弊害があるが、全車両が自動運転となると、その威力を発揮すると考える。


小さい頃から、自動運転車両が普及したら、こうなってほしい、という理想がひとつある。

「車の共有」である。


完全な自動運転車両が最も活用され、重宝されるのは、まさに、これからの日本。少子高齢化社会だと思う。

「車がないと生活ができない」
「でも、高齢で運転ができない」

こういった問題が、全て解消する。例えば高齢者だけの限界集落であっても、高齢者が一人で街まで買い物に出たり、病院にかかったり、そういった生活がやすやすと出来ることになる。

そして、本当に全ての人が同じように暮らせるようになるのを目指すなら、車は個人所有ではなく、自治体なりが所有し、道端にゴロゴロ置いておけばよい。使いたい人が、適当に近くに止まっている車を使えばいい。

無線通信が充実していれば「空車」を呼ぶことだってできるようになるだろうし、用が済んだら、車は自分で「所定の位置に帰れ」ばいいわけだ。


これは、子どもの頃からの夢想なので、経済的なこととか、そういうことは考えていない。
でも、車がそこまで発展してしまったら、こういうのもひとつの形なのだとは思う。

ただし、これが実現したら、電車・バスなどの公共交通機関は絶滅する。
鉄道であれば、貨物輸送に特化して残ることも考えられるが、バスやタクシーなどは、かなり活動の場が限られることになるだろう。
また、自動車メーカーや整備工場の在り方も、大きく変わるだろうとは思う。
f:id:KE-KE:20220219163320p:plain