玄関に、ヤモリがいました。
お腹が黄色(?)かったので、たぶんヤモリ。
朝、玄関を最初に出た時はいませんでしたが、ふとストーブの火が気になって戻ったら、次に出ようとした時におりました。
ヤモリは家守と書くように、家に現れるのは良いことと聞いています。スピリチュアル的に言うなら「家の守り神」といったところなんでしょうけど、科学的には、ヤモリさんにとって「安全を感じる場所」だから寄ってくる。つまりヤモリのお墨付きである安全な家、というわけですね。
守り神でも居候でも、吉兆に類することだと思いますので、そのままにしたかったのですが。
ご存知のように、我が家には猫がおりますので、そのまま家の中に居残りますと、場合によりスプラッタなことになりかねませんので、仕方なく外に出て頂きました。傘で小突いたんですけどね。
すると、文句を言うでもなく、キリッと首を持ち上げて、駐車場を挟んで向かいの一軒家に向かってスタスタと歩いてゆかれました。
あぁ、幸せを逃がしたのかな。
ヤモリは家を守るのであって、幸せを運んでくる動物ではないと思うのですが、それでも、なんかそんな気分でした。
いつもなら、そんなことを思わないだろう。
今日、ことさらそのように思ったのは、現在、不幸を一身に背負い、僕の言葉にむかっ腹を立てて、昨夜から口を聞こうとしない人が我が家にいるからでしょう。
しょっちゅうあることなので慣れっこではありますが、僕は、個人的にそういう「濃い感情をむき出しにする」のは好きではありません。
どう思うのも自由ですので、恨もうが構わないのですが、それを外に出して、人にぶつけて、そこに残るものって、本人にとっても良いものじゃないだろうに。
それ以上、被害を大きくしないためにも、心の中に留めておいた方がよいのではないか、というのが僕の思いです。
そして、残念ながらこれは頻繁に繰り返され、なんなら毒気を向ける相手は僕だけではなく、職場の人であることも多い。
何度、同じことを繰り返し、同じように僕の言葉に腹を立てただろうか。経験から学ばない、というのも、持って生まれた素質なんでしょうか。
僕の言葉、というのも、僕があまりに理不尽なことを言った、とは思っておりません。理屈としては、僕の方が通っていると思っています。
最初は親身に聞いて、確かに苦労しているのだろうね、という内容の話でも、しょっちゅう同じようなことを聞かされていたら、さすがにちょっと自分自身も振り返ろうよ、とか、もっと責任もって発言しようよ、とか思います。同じことが発生していること自体を問題視しようよ、と。相手が違っても発生するのだから、原因はどちらかと言えば自分の中にあるんじゃないのだろうか、とか。
人は変えられない。状況を変えたいのなら、人ではなく、自分を変える。
よく聞く言葉です。あちらも知っているはずなのですが。
自分を変えようとせず、ひたすら敵視し、毒を吐き、変わることを願う。
もともとシックスセンスを持っている人なので、ここまで強い負の感情を抱かれてしまうと、やれ生霊だの念だの、というのが発生しそうでドキドキです。
だから、ヤモリさんも去ってしまうのです。