kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

変わる。

すぐに”泣き言”を言うのは、好きじゃありません。

ポイントは、言うのが好きじゃないんです。心の中で思うのは、自由だと思います。

ようは「言わなきゃいい」「聞こえなきゃ自由」という感じです。

愚痴文句、こういう類の話って、聞いている側が嫌な気分になるものです。

だから、言って得になることはないと思うので、まぁ心に湧いてしまうのは仕方ないとして、せめて、外に漏らさないようにするべき、というのが、僕なりの処世術のひとつです。


で、僕の、いわゆる配偶者です。

定期的に「仕事やめようかな」とボヤキます。

で、職場の人間関係の話に入っていくのですが、大同小異というか、シチュエーションは様々あれど、根源的な内容はいつも同じ。

最初はその都度、聞いていましたが、だんだん、慣れてきてしまいます。


どういうことであれ、人間関係、となると、心理学的な話では普遍の言葉が心をよぎります。

どれだけ愚痴ろうが、文句を言おうが、相手を変えることは出来ない。

変えることが出来るのは、自分だけ。

だから、自分が変わらないと、何も変わらないし、進まない、と。


相手がどれだけ残念な人でも、それはやっぱりそうで、事の善悪とか、正否とか、そういうことでなく、解決が早いのは、自分が変わる方です。

もちろん、それで万事解決、というわけにもいかないでしょう。実生活にあたっては正攻法だけではダメなこともあります。

とはいえ、この普遍の道理は引っ込むわけではないので、相手を変えようとしても、無駄な労力になります。

ただ、大抵は頭に血がのぼっていたり、とにかく「その角度からしか相手を見れなくなっている」ことが多く、無自覚で「相手を変えよう」としていたり、「変わらない相手が悪い」という理屈に走ってしまいがちです。


こんな話をすると、ヘソを曲げられてしまうというか、激怒されたりするので、なるべくしたくはないのですが、でも、迎合は出来ませんので、僕なりの解決の道筋として、こういう話が出ざるを得ない。

すると、偏った見方しか出来なくなっている配偶者からすれば、相談しがいがないとか、誰の味方かわかんないとか、そういうことを言われてしまいます。


僕の中では、納得いかないことまで「そうだよね〜」と同調は出来ないし、まして間違った方向に考えているなら、正すことが優しさであるとも考えます。

その都度、激怒して布団に入れてもらえなくなるので、僕こそ被害者である気分です。