休みの日の午後。
明るい窓際のテーブルに座り、見るでもなく外の景色を眺める。
もう少し、何も考えずに、ぼうっとする時間のままでありたい。
こんな時、いつもならどうしていたっけ。
手元に読みかけの文庫本を持ってきて、コーヒーを入れる。
充分にぼうっとする時間を楽しんだら、本を読み始める。
先ほど淹れたコーヒーと、煙草の煙の匂いが漂う。
・・・タバコ?
ふと左手を見ると、そこにはタバコがゆらゆらと煙をあげている。
うわぁ!
え?僕、タバコを吸っている!?
無意識に、タバコに火をつけてしまっている!?
頑張って禁煙していたのに、我慢できていたのに、ついうっかりで、禁煙を止めてしまった!?
慌てた僕は、とにかく灰皿でタバコの火を消すと、何もなかったかのように振る舞うことにした。
大丈夫、誰も見ていない。(そういう問題じゃない)
なかったことに出来る。(そういう問題じゃない)
あぁ、この部屋の匂いをどうにかしないと。窓を全開に開けよう。
…という、夢を見ました。
夢の中のこととは言え、夢に見る以上、僕の心の中にはこの欲求があるものと考えないとなりません。
比較的、中毒から来る禁断症状、離脱症状はなかったので、まさか夢にまで見るとは思いませんでしたが、もうひとつの”慣習から来る欲求”の方が、厄介なようですな。
現実的には、煙草を購入したりはしておらず、手元に煙草を置いていませんので、無意識に吸ってしまうことは出来ません。
また、かろうじて可能性があるのであれば、物置の中に、最後に買った煙草が処分せずに残っていますが、それは電子タバコ用のカートリッジなので、それだけでは吸えません。また、電子タバコ本体の充電はもう切れていると思いますので、無意識に、衝動的には、吸いたくても吸えません。
そんなわけで、まず”うっかり吸ってしまう”ことはないわけですが、煙草がある安心感を知ってしまっているので、場面場面で、あぁ、こんな時に煙草を吸っていたなぁ、と、逐一、思い出します。
この”吸っていた記憶”さえも遠く霞んでしまえば、おそらく、煙草へのメリットは何ひとつ感じなくなるので、完全に思いを断ち切ることは出来るのでしょう。
正直、今の段階では、まだタバコの匂いが”嫌な臭い”と思うまでには至っておらず、僕の中では、懐かしい匂い、という位置づけになっています。
完全な他人事として、嫌な臭いになってこその、一人前の”非喫煙者”でしょう。
あ、でも、喫煙禁止場所で吸っている人へは、だいぶ批判的な目を向けるようにはなったと思います。批判はしませんけども。
喫煙当時は、まるで”息をする場所がない”ような感覚で、必死に喫煙場所を探していたのを思い出します。なので、場所がなくて仕方なく、という気持ちも、わからないわけではないのです。
ですが、喫煙者本人は必死なのですが、非喫煙者から見ると、ある意味で滑稽に見えるものなんだなぁ、と。禁煙をしてみて実感しています。