僕は、世間知らずです。
同世代の人と比べたら、経験してきたことは少ない。
根っこには、新しいことを嫌う保守的な性格がありますし、すぐにへこたれる豆腐メンタルもあります。
なので、一般的に同世代が経験してきたことを、知らずに生きていると思います。
まぁ、それを引け目に感じることはないのかもしれませんけど、ある種の「人間の完成度」という意味では、やはり出遅れは否めません。いや、年齢的には既にレースも後半にさしかかっておりますので、出遅れどころではないですね。
手元に残る無形財産がないなぁ、というのが僕の偽らざる現状。
学歴や職歴、資格など目に見えるもの以外にも、積み重ねて得た技術やスキル、経験や知恵というものがあると思います、中年ともなると。
僕は、目に見えるものもないですが、そのような無形財産も積まずに来たなぁ、と思います。
なので、無い無いづくしの立場では、今の社会、老後を心配せねばならないのですが、それすら刹那的な欲のために散財し、小さな安心を得るための蓄財も出来てはおらず、客観的にけっこうヤバい気がしています。
だったらすぐ動こうよ!というのが、経験や知恵のある人。そもそも、そういう人間だったら、まずこういう窮地には陥りません。
身の丈、というのがあります。
焦って身の丈を超えるような事をしてしまうと、結果的には不幸を呼び込んでしまいますので、身の丈の中で最大化された幸福を得るためにどうするか、を考えねばなりません。
しかし。
その幸福というのも、個の持つ性格から環境にまで左右されますので、例えば老後の衣食住が確保されていればみんな幸せ、というものではなく、個が考える理想の成就、懸念の払拭というあたりが大切です。
生まれ持って身の丈を超えた人生を歩まないとならない人もいるでしょう。
歴史上でもたまにいますよね、王様になんてなりたくなかった王様とか、さっさと王位を譲って隠居生活を楽しんだ人とか、身の丈を超えた国、財産を引き継いでしまい、苦労した君主とか。
そしておそらく、彼らには彼らの性格があり、良い所もあったのでしょうが、だいたい、暗君と呼ばれたり没落したりします。
ただ、没落しようが、命があって生き続けられれば幸せ、というのであれば、それもまたひとつの答えでしょう。命よりもメンツとなると、塗炭の苦しみになるでしょうが。
僕を取り巻く環境が、果たして僕の身の丈を超えているかどうか、は、おおよそ自分なりに答えは出ています。
後は、それを踏まえて出来る限りの模索、検討、行動をすべきですが、知恵も度胸も意欲もないのが、僕のような人間。そんな自分をも加味して考えていかないとなりません。
ちなみに、僕個人は、大豪邸よりも、ワンルームが身の丈です。