kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

コロナ禍とマスク。

コロナ禍で生まれた子は、自分の兄姉が、学校に通うという日常を知らずに育つらしい。兄姉も家にいるのが当たり前だったので、兄姉が学校に通いはじめたら、寂しくて探し回ってしまうらしい。

 

海外の話ではあるが、日本でも可能性のある話ではある。

 

日本は、世界に比べれば感染者数もずば抜けて多いわけではなく、いや、むしろ少なく、だからなのか、自宅でのオンライン授業もコマギレに実施された印象だ。国や自治体の発する「緊急事態宣言」や「蔓延防止条例」などに沿う形で、通学してみたりオンライン授業をしてみたり、というわけで、この2年弱、全く家にこもりっぱなしという子は、親、家庭の方針によりそうしている子を除けば、ほとんどいないだろう。

 

ただし、2年弱という時間は、まさにコロナが流行りはじめた時に生まれた子を「もうすぐ2歳」に成長させるわけで、その子からすれば、人というのは家で学び、家で働く、という常識をインプットされただろうことは想像に難くない。

私のように、テレワークが出来ない職種の家庭はそうでもないのだろうが、それでも「お父さんだけは出かける人」「他の家族は家で過ごす」という認識になってもおかしくはない。

 

コロナ禍は、子から様々な思い出を奪った。コロナ禍というもの自体が忘れ得ぬ思い出になるとも言えるが、入学式、卒業式、運動会、文化祭、修学旅行など、様々な「思い出」を作ることができなかった。コロナ禍自体を思い出にするには、あまりに代償が大きすぎる気がする。

彼らからするとそれが当たり前となり、そんな彼らが大人になった時、どのような常識、認識、選択が生まれるのか、気にはなる。

 

 

昔、感染症ではないが、似たような現象があったと思う。いや、将来にコロナ禍によって似たような現象が起こると推測できる、と言った方が正しいか。まだ起きてはいないから。

 

それは、バブル期に生まれ育った人と、不況期に生まれ育った人の差、である。

 

私世代などはバブル期に生まれ、バブルの余韻が漂う中で成長し、不況に突入して大人になった類だ。なので、いざ大人として社会に飛び出した瞬間の価値観や認識のギャップには苦労したと思う。

バブル期の常識で育ち、バブル期のトレンドで育てられ、いざ社会に出てみたら、親に言われていたのとは全く違う景色が広がっていた。

まぁ私は親の言う通りには育ってこれなかったので、いずれにせよ苦労はしただろうけども。

 

一方、失われた○年、と言われる不況下に生まれ成長した人も、既に大人として社会に出ている。私世代が苦労して得た価値観(身についているかはわからないが)を、はじめから身近に感じ、当たり前として育った人達だ。

 

そして。

今後は、さらにプラスして、コロナ禍により思い出を奪われた世代が、大人になってゆく。

 

コロナ禍に生まれた子達は、マスクを外して外出する機会が、生涯にわたり、どれほどあるだろうか。コロナ禍が収まったとしても、得た教訓は活き続けるかもしれない。

マスクをつけずに外出することは、まるで服を着ないで外に出るぐらい、違和感のあることになりやしないか。

 

緊急事態宣言が解除となり、公園でコロコロと遊ぶ子ども達。その姿は私達が子どもの頃となんら変わらないはずだが、ただ、みんなマスクをつけている。

 

平安貴族の「名を問う」ではないが、もしかしたら、マスクを外し自らの顔をさらけ出すことが、求愛行動、ということになったりするのだろうか。

 

オジサンには「いっときのマスク」でも、2歳の子どもには「人生の全てがマスク」だ。

 

コロナ禍が、人類の価値観に一石を投じるのは、間違いないのではないか。

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