kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

今週のお題。

今週のお題「読書の秋」


お疲れ様です。


今週のお題は、私としてはかなり渋い。毎週のお題には積極的に参加したい、と思っておりますが、今回は悩みました。

なんせ、もう読書は全くと言っていいほど、出来ていません。

いや、言い訳がましくなりました。


「していません」。


なので、お題とはずれてしまいますが、せめて、なんで読書をしなくなったのか、など、反省を込めてを述べていきたいと思っております。


①なぜ読書をしなくなったのか

といっても、そもそも私は本好きと言えるほどのものではありません。なので、由緒ある文学小説とか、インテリジェンスな方々が読んでいるであろう本とは、縁がありません。
それでも、全く読んでいなかったわけではなく、好きな作家さんの本はよく読んでいました。

読書をしなくなったきっかけは、結婚と転居ですね。

独身であれば、部屋に好き勝手にポイポイと本を置いておけましたが、結婚すると、そういうわけにもいかなくなります。自室があるほどの優雅な生活はしておりませんし。

最初は、ダンボールに詰めて物置とかクローゼットの奥深くにしまっておこうと考えてました。たまに読み返したくなりますからね。
感銘を受けた一文をもう一度読んで力をもらうために、とかです。

ですが、結局キャパの問題と、今後、読書に没頭するほど自分の時間が作れるのか、という懸念があり、思いきって手離した経緯があります。今で言う「断捨離」ですかね。

また、自由になる金もやはり減ります。
本屋にフラッと入って、フラッと衝動買いして帰る、ということもしにくくなり、本屋から足が遠のきました。当時の住まい、目の前に本屋があったんですけどねぇ。

というわけで、生活環境の変化が、あまり読書に適さなくなってしまった、というのがあります。
本当の読書好きは、それでもちゃんと時間を作るのでしょうから、私の読書熱がそこまでではなかった、ということでしょう。


②読書に代わるもの

とはいえ、昔は知識欲も今よりあり、活字に触れたいという欲求は、少なからずありました。なので、本屋に入ってみようか、という葛藤は常にありました。

そんな私の前に現れたのが、スマートフォンでした。

私は頭が固い部類で、スマートフォンが流行りはじめても、しばらくガラケーで踏ん張っておりました。
しかし、家族をはじめ、まわりはどんどんスマホになっていく中、共通の連絡方法などの必要性もあって、ついにスマホに切り替えたのです。

私にとっては「小さなパソコン」みたいなものでしたので、インターネットを制約なく出来るのは新鮮でした。思えばスマホにしてから、本だけでなく、パソコンも触らなくなりましたね。
なので、活字に触れたい欲は、取り急ぎ、インターネット上を徘徊する、という形で満たすことになったわけです。

Kindleも考えたのですが、やはり長編だと一気に読みきれない。そうすると、次に読むタイミングがいつになるかわからない。だから無理して読んでしまう。徹夜とかですね。そんな理由で結局検討だけで、導入には至りませんでした。

そして、その時その時でスパッと読みきれるコンテンツに偏っていき、今ではそっちばっか、という感じになりました。まさに、ブログやテキストサイト、ニュースサイトなんかがぴったりだったわけですね。

その後はYouTubeというものも経験し、どんどんスマホに偏るばかりで、本、という文化に戻るタイミングを失っております。


③市井の著作

私の中で、ブログやYouTubeというのは「市井の著作」という位置付けにあります。
失礼な言い方なのかもしれませんが、芸能人や文化人のような「いかにも」「権威ある」ではなく、社会に紛れ込んで、さりげなく存在する方々の言葉、主張にこそ強く感じる、共感、発見、感銘というものがあります。
高尚、崇高、難解な言葉よりも、もっとダイレクトに自分に入り込む言葉が、今は気持ち良いのだと思います。


④以上。

というわけで。
お題を踏みつけにした今日のブログは以上になります。

でも、今でもありますよ。
休日の昼下がりなどは、日差しの入る明るい部屋で、昔のように、読書したいなぁ、という思いは。

明るい日差しに照らされた、少し眩しいぐらいのページをめくりながらの読書は、よいものです。
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