kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

晴耕雨読。

最後に本を買ったのは、もうずいぶんと昔だ。

 

それでもまだ、娘が小さい頃は、本屋に行って娘が楽しめそうなものを探したものだが、自分が読むために、となると、娘が生まれるより前、結婚するより前から、足は遠ざかっている。

 

多分、親父が他界した時から買ってないと思う。もう、二十年は経っているだろうか。

 

 

本屋に行かなくなった理由のひとつは、まず、荷物になる、ということがある。

 

親父が他界し、引っ越しも含めた物の移動があったこともあり、物の所有について考えた。

 

なので、買わなくなったし、それまで溜め込んだ本は全て処分した。

 

 

理由の2つ目は、お金の問題だ。

 

けっこう、これは、と思うと考えなしに買ってしまう性格の私は、放っておけば、本にそれなりの出費をしかねない。

 

バンバン買うわけじゃないけれど、うかつにシリーズ物とか、長編作品にハマってしまうと、出費が大きくなる。

 

一冊あたりで、文庫以外では1000円以上は確実にするわけで、なかなか馬鹿にならない。

あぁ、今の価格がどういうものかはわからないのだけれども。

 

 

しかし。

 

貧すれば鈍する、ではないが、やはり、本を読んでいる生活と読んでいない生活は、違うと思う。

 

活字に触れなくなり、読解力は落ちてきたと思うし、ちょっと複雑な文章構成についていけなくなった。

 

こんな状態では、今度は本を読もうと思っても、頭に入ってこないんじゃないか、という恐怖もあったりする。

 

 

そんなわけで、何が言いたいかというと、今週のお題には参加できない、ということだ。

 

 

私は歴史物が好きなので、その類の本は読みたいと思う。

 

ただし、実際に読んでいないし、本屋にも全然行かなくなってしまったので、具体的な「読みたい本」すらわからない。

 

雑学や、それに類いする知識は、ニュースサイトの特集とか、You Tubeに頼っている日々である。

 

 

いい歳ではあるが、身の回りがなかなか落ち着かない。

 

そろそろ、ゆっくりと読書する休日を設けてもよさそうな年齢にはなっているのだが、金銭的にも、場所的にも、環境的にも、それはまだまだ先のことになるだろう。

 

 

晴耕雨読

 

なんと贅沢な言葉だろう、と思うようになったのは、ここ最近のことである。