kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

現象か活動か。

しつこいですが、スピリチュアル的なお話です。

 

 

思い残すことがあると、成仏できない、と言います。

 

やっとけばよかった、と、後悔するようなことがあったりすると、成仏できない。

 

一般的には、成仏、という現象がすでにピンとくるものではないけども、それが、現世での活動を終えた後に、必然として通過する儀式(?)なのであれば、次のステップに進むために必要なのであれば、やはり、成仏出来ない、というのはよろしくない。

 

 

で。

 

自分がまさにその命を終えるときを想像すると、たぶん、後悔ってあるんだろうなぁ、と。

 

後悔はなるべくしないように生きているつもりですが、なんていうんですかね、後悔しないためにこそ、我慢したり、抑えたりした、何かしらの事があったりすると思うんですよね。

 

これをしたら後で後悔することになるだろうから、しない、とか。人生選択においての大きな後悔はそれで防げるものの、小さな後悔が残るのかもしれない。

 

後悔しようがなんだろうが、やりたいからやるんだ、みたいな方が、亡くなる時の“残念”はないかもしれないなぁ、とか思います。

 

 

こういう視点からすると、朗らかに、後悔や後ろめたさなく生きている人であっても、何かしらの“抑制”はあって、それが間際になると後悔につながるんじゃないか、と考えると、後悔なく亡くなるって、実は希少で大事なことなんじゃないかな、と思うわけです。

 

私なんぞは、色々な意味で“抑制”して生きていますから、すごく心残りで、亡くなってからも化けて出る、というほどの事はなくとも、なんとなく後味が悪く、ちょっと後ろ髪ひかれてうっかり成仏しそこねた、ぐらいの残念はあるかもしれません。

 

 

なので、成仏できるよう、そういう些細な後悔や残念を解消していかないとなぁ、と思いましたが、でもこういうのは、おそらくその人の本質に根付くものであって、たぶん、理性を働かせながら、まわりと協調して生きている社会という現世においては、なかなか解消できないこともあるんじゃないのかな、と。

 

まぁ、自分を抑制し、理性を持って協調して生きる、ということも、人間という動物の満足を満たす行動なのかもしれず、それであれば、自分の欲望を抑え、清く正しく美しく生き抜けたことに満足を覚えるかもしれませんね。

 

あ、でもこれ、中途半端なところで挫折したら、激しく成仏できなそうだなぁ。

 

 

なんにせよ、成仏、というのがひとつの“現象”でしかないのか、何かしらのペナルティとか、バチとか、そういう要素であるのか、も大切です。

 

 

成仏するとどうなのか?しないとどうなのか?

 

よく、成仏しないと幽霊になって現世に留まる、と聞きますが、成仏というのは、子どもがいつか大人になるように、必ず経る“成長”なのか。転職活動などのように、しない過ごし方もある“活動”なのか。

 

それらへんの位置づけがわからないと語れないわけで、つまりここまでのお話は全て無駄なわけです。

最近は、よい景色を見るだけで成仏しそうになります。