kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

ぼやき。

悔やもうと思えば、悔む事柄は幾らでも出てくる。

 

悔やまないように生きるというのは、悔やむようなことが起きないように、悔やむようなことをしないように生きるのではなくて、それらのことを、いかに解釈し、消化し、悔やむことなくいられるか、なのかもしれない。

 

 

だから、未熟な立場では、少しでも張り詰めた気が緩むと、すぐに後悔に襲われてしまいそうな恐怖もあったりする。

 

「それって、既に後悔じゃん」と、言えるのかもしれない。でも、時をかけることで、また別の解を見出し、後悔ではない何かに昇華されてゆくんじゃないかと、ひとり思っている。

 

なので、後悔しないように決める、というより、決めたことに後悔をしない、というのがスタンスに近い。

 

 

とはいえ、このところ、少し弱気である。

 

後悔しない、と、一方的に決めていることは、場合により目を背けている、というだけのことになりかねない。ただの問題先送りとか、単に自分が不精だっただけ、ということもある。

 

まぁ、そのうえでの結果も、後悔しないように受け入れていくのが真の「後悔しない生き方」なんだろうけども、まだ僕は、わだかまりが消しきれていないな、と、このところすごく感じている。

 

 

意に沿わない結果、望みとは違う将来、これまで意識してきたことの無意味さ、屁理屈をこねて逃げていただけの現実など、色々なものが同時に吹き出しているような感覚で、個別にはかろうじて対処できても、連続、同時に襲いかかられると、持ちこたえられるか心配になってくる。

 

自分に巣食う欲、無意識と一体化した偏見や固定観念といったものの除去が、これからの僕の課題だろうと思う。

 

 

この環境を、待ち受ける未来を、どのように「納得」するか。

 

その方便を探す日々になりそうである。

どちらにゆこうとも。