自分と同じ様なことを考えている人がいると、どこかホッとします。
先日、YouTubeをダラダラと見ていたのですが、そんな中で、「50歳が近づくにつれ、死、というワードをかなり大きく意識するようになった」という発言を聞き、あぁ、この人もそうなんだなぁ、という、どこか安心にも似た気持ちになりました。
例えば、40歳の人は、年齢を倍にすると80歳になります。
では、今40歳の人の何人が、80歳まで生きているのだろうか、と考えると、まぁ平均的に考えれば、人生の折り返し地点は今ではなく、既に通り過ぎていますね。
そこにさらに健康年齢、というものを加味して考えれば、意欲的に生きることが出来る期間はもっと短く、健康的に活動する人生、という意味では、折り返し地点はさらに早くに訪れていたのでしょう。
さらにさらに、今が折り返し地点で、もう半分の人生がこれからあったとしても、前半と同じような、感動や成長、経験などを伴った半生がこれから待っているのか、と言えば、これも違うでしょう。
1歳から40歳と、41歳から80歳では、同じ40年でも、生み出すエネルギーは雲泥の差で、費やすエネルギーもそれに比例するでしょう。
そういったことを諸々考えていくと、人生の折り返し地点はけっこう若いうちに来ているのですが、例えば意識せずに生きていたり、がむしゃらになって生きていたりするとそれに気付きません。
そして「あぁ、もう人生の折り返し地点か」と、ふと思った時、いやちょっと待てよ、と少し考えてみる。すると、自分はとっくに後半生の真ん中ぐらいにいることに気付きます。
よくいいます。お金を稼いで貯めて財を成しても、その頃には年老い、それを使う意欲も健康もなければ、財を成した意味すらが希薄になります。まぁ、家族に残す、というのもありますけども。
老後の安泰を求めすぎていると、後からではけして取り戻せないものを失っていくと言います。
失うもの、いや、既に失ったものが増えてきて、そんなことを考えるようになったのが、最近の僕です。