知識は、求めれば得られるのかもしれないですが、それを実際に活用し、生きる、とか、仕事をする、という経験を経て、その知識は身につくというか、血肉になると思います。
特に、仕事上のノウハウなんかそうですね。
なので、座学などで伝えられることは、実務においてはそんなになくて、せいぜい、血肉にするための素材ぐらいなものです。
知識を、知識として留めておくだけでよい、というものはそんなに多くなく、その知識を用いて活かす、というのが、知識そのものが存在する理由ですし、なんか、そんなような諺もありましたね。
実践や実経験を経ていない知識は、机上の空論と呼ばれたりします。エリート教育を受けた期待の若手将軍が現場上がりの老武将にコテンパンにされる、という歴史的な事象もあったりするわけで。
なんか、真面目くさった話になっちゃいましたが、こんなことを考えたのは、You Tubeで或る動画を見たからで、そのテーマが「無知の知」というやつでした。
我が身を振り返って、立場上、座学で人に仕事のことを話すことが多々ありますが、そもそも、私のように「知らない」人間が、人に何かを教える、伝える、というのは、とても怖いことです。
自分が経験してきた範囲は、伝えることは出来ると思います。まぁ、それが血肉になるには、本人が経験を積み重ねる中で消化する必要があるわけですが。
経験していないことは、例え説明を受けたり資料を読んだとて、血肉にしていないから、よくてただの伝言ゲームなわけです。
一応、自分はそんな「無知である自分」を知っているつもりです。
だから、こういう業務は嫌なんだろうな、と思います。
自信を持って話し伝え、疑問があればそれを受け止め、それに適切なアドバイスや答えのきっかけを出してやる、というのが、人に教える、という立場なんだろうと、多分、自分はそう思っている。
知らないことを「知らない」と言える先生は、立派ではありますが、そういうシチュエーションがないに越したことはないわけです。
そして、知っている、とは、たんに言葉や文字として知っている、ではなく、経験の中で血肉にしてはじめて「知っている」わけで。
むしろ、まだまだ学ばなきゃいけない立場で、教える、ということをしないとならないのは、壮大な「知ったかぶり」をするようだし、突っ込まれれば返事に詰まりかねないのは、教える、という立場にふさわしくない。
だから、教える、という仕事の人は、すごいなぁ、と思うのです。