自分が「(仕事が)できる人・できない人」の判断基準を、どこに置いてよいのかがわからない。
免許、資格などの一定の判断基準があれば、それらを持っていることは「できる人」と判断することも可能だと思うが、免許や資格を取得し、所持しているだけで食うに困らない生活ができるかというと、一概にそうは言えないと聞く。
資格があっても業界未経験では採用されないとか、そういうやつ。
資格があってもそれ以外の部分に難ありとか、そういうやつ。
まして、資格がない職種では経験、実績のみが武器になるわけで。
あ、そんな小難しい話をしようってわけではなくて。
私の職場は、特に資格など要らず、普通免許があればとりあえず仕事はできる。
そんな中で十数年やってきて、現場責任者もやってきたわけだが、今こうして前線から退いてみると、自分は何ができるのか、と、疑問や不安が込み上げてくる。
価値観もあるのだと思う。
私は今までずっと、誰でも出来る仕事をやってきた、という認識しかない。現場のドタバタした忙しさはあるとしても、それはガムシャラになればなんとかなるもので、そんな中で「さすがは○○さんだ」という才知をきらめかせる事は出来るにせよ、それは入社一年足らずの新人でも才知さえあれば出来てしまうことなので、そのように考えていくと結局誰にでも出来ることなので、つまり自分は人と比べ、何も出来ないに等しい。
そして、私は偏りのある性格なので、得意な分野が見つからない代わりに、不得意な分野は多々ある。
同じ立場を経験し、同じように今は管理部門にいる人の話を聞くと、自分なんかは何も出来ないな、と感じる。
結局、私のいる職場みたいなところは、人間味とか、そういう部分で善し悪しが分かれるところも多く、何も出来なくともそれなりの評価を得ることが出来る職場と言えるし、すごい能力を持っていても、開花させる場所がなければ、いつまでも平凡な一社員でしかない。
プラスにもマイナスにも贔屓目を捨ててみれば、私もなんらかのそういう能力または人間味があってそういう立場を任されてきたのだろうし、幾人かは慕ってくれてもいるようなので、自分ではわからないところに、自分自身の魅力というか、それに似た何かがあるのであろう。
だが、それが何になるのか、という問いがある。
この場所、この立場でしか通用しないものであって、一歩外に出れば、それはなんのアドバンテージにもならず、また、胸を張って「やりました!」「やれます!」と言えるものではないと思うのだ。
それでも、それにしがみつき、社内で生き残りをかけて右往左往するのもひとつのやり方なのだと思うが、昨今の社会は、そのような働き方は推奨されない。
特定の会社組織の一人ではなく、社会の一人としてやっていける能力を身につけなければならない時代だ。
忙しいという字は、心を亡くすと書く、などと言うが、確かにその通りだなぁと思う。
現場仕事の頃はとにかく忙しく、まわりを全く見ずにきた。
この十数年、外を見つめる気持ちを持っていれば、違った今があるような気がするのである。
ただし、これは後悔といった類いのものではない。
自分のモットーとして、
「今、ここから」
というのがあり、どのようなきっかけがあって、どのような現状があっても、常に今、ここがスタート地点というつもりでやっていきたい。
これは、だから学ぶとか、励むとか、そういう殊勝な意味合いではなく、今さらじたばたあがいたところで現実を変えることは出来ないのだから、過去のことに恨み辛みを吐いていないで、今の現状を自分の資産とし、毎日新しい気持ちで今日踏み出す一歩の方向を考えていこう、というニュアンスだ。
今の市場において、自分のスキル、年齢、そういった諸々の条件が、いかに危ういかは把握している。
もちろん、学びや努力がそれを打開することは知識としては知っている。ただ、その努力の方向が無駄にならないよう、広い視野を持っていないとならない、と思う程度に、今の社会は複雑化していると思うのだ。