廃集落を訪れる動画を見ました。
それが目的というより、ツーリング途中で見つけた廃集落を探索、といった感じでしたが。
神社があったところで、鳥居が倒れていて苔むしていました。お社はなく、基礎のみが残っている感じです。
どこの廃集落でも多少の差はあれ同じだとは思うのですが、こういう神社の神様は、事前に、どちらかにお遷り頂いているのでしょうか。
タイミングが難しいですよね。
定義のしかたもあるとは思いますが、一人でも住んでいれば、そこはまだ廃集落ではない、と考えれば、その集落を見守る神様が先にいなくなってしまうと、残った人は心許なくなってしまうでしょう。まぁ信心の深さにもよりますが。
でも、その最後の一人が、神様のことについて明るいとは限らず、そのまま神様を残して引っ越してしまうかもしれず、もしくはお亡くなりになってしまったら、やはり神様だけが残り、祀る人がいなくなってしまう。
勝手に妄想するのであれば、ちゃんとお遷り頂いて、などの手続きを行っているのであれば、または行う方々がいらっしゃったのなら、鳥居などがそのまま打ち捨てられている、ということもないような気もしますが、どうなのでしょう。
神様がおられなければ、それはただのガラクタ、廃材ということなのでしょうか。
正直、私はそういう廃集落などが身近にある立場ではないので、外野からの余計な妄想でしかないとおもいます。
また、神事というのですか、神様のことについても無知であり、信心についても、あるのかないのか、と言われれば、ない部類だと思います。
そんな私でも、祀る人がいなくなるのはよくない、という話は聞いたことがあります。
家の神棚であっても同様で、祀る人がいなくなるのであれば、お遷り頂くというか、もとの神社にお戻り頂くというのか、そうすべき、と聞きます。
そう考えると、神社、という規模になると、分詞とか、同じ流れを組む他の神社が動いてくれるのだとは思いますが…。
その廃集落にはお地蔵様がおり、そちらは花が供えられており、集落にゆかりのあるだろう方々が、定期的にお手入れをしているようでした。
だからこそ、その苔むして倒れている鳥居が対照的で、そんな心配がよぎってしまいました。
「もったいない」という言葉が世界に称賛された日本。物には神が宿るなどのアミニズムというかつくも神信仰というか、そういう文化のある日本。かつて神様の場所であったところは、終いもきっちり行いそうなものですが、このような景色を見ると、やはり日本人も多種多様、皆がそのような信仰を抱くわけではなく、日本人の一側面でしかないのでしょう。