見た目、小学生高学年か、中学生1年ぐらいかなぁ、ぐらいの男の子の二の腕に、けっこう派手めなタトゥーが。
今の時代、学校としても否定はしないんですかね、こういうの。
表現の自由とか、そういう類になるんですかね。
海外はわかりませんけど、日本では公共の場で、肌を見せるような場所ではタトゥーが入っている方はお断り、という場面がよくあると聞きます。
サウナ、浴場、プールなど。
それを承知で幼いうちからタトゥーを入れるのなら、それはそれで、意思を尊重すればよいのかもしれません。
ただ、今でもタトゥーに「こわい」「こわい人」という印象を持つ人もいるようです。どこかで読んだ記事程度の話ですが。
これは昭和世代が入れ墨という文化に持つ印象のことを言っているのか、それとも若いイマドキの世代でも、やはり入れ墨というのは「こわい人」「ヤバい人」という印象を持ちやすいという意味なのか、そこまではわかりませんでしたが。
かくいう私も、入れ墨にはそのような先入観がありますし、それは昭和世代の感覚を引きずっているとも言えるし、そもそも入れ墨という文化の成り立ち、その中のひとつとして、敬遠されるべき要素があるから、ということが知識としてあるからかもしれません。
良し悪しを抜きにして思うことは、覚悟がすごいなぁ、ということ。
入れたら消せないのが入れ墨です。
まぁ、今はお金さえ積めば綺麗に消せるのかもしれませんけど。
少なくとも、洋服だとかネイルだとかのように、気軽に「飽きたから次」が出来るものではないですよね。
私のように意志薄弱な人間からすると、その瞬間の思いを身体に刻む、ということは、怖くて出来ません。
後で、嫌になったらどうしよう、とか、後悔するんじゃないか、とか、そんなことを考えます。
ただのデザインであればまだ良いかもしれませんが、その瞬間の自分を刻み込んで残してゆくことは、ある意味で時を止めることであり、いくらその後の自分が変わっても、刻まれたタトゥーを見るたびに、あの頃の自分に呪縛され、真に変わることが出来ないんじゃないか、と。
これは私個人のことなので、タトゥーを入れている他者にそれを重ねないようにしていますし、むしろその思い切りがホンモノであれば、すごいな、と思います。
ま。
今は、シールタイプの剥がせるタトゥー(?)もありますし、私が見かけた少年もそれだった可能性もゼロではないですが。
シールであったとしても、あんなに派手に見せびらかすわけですから、やはり私なんかとは考え方が違うんだろうなぁ、と。それが、世代なのか人間性なのか、というところが、私の興味の対象です。