最近、ちょくちょく自宅でお線香を焚いています。
お線香というとなんかあれですね、お香、というべきですか。
とはいえ、見た目はお線香ですし、香りも、これは白檀なのでいわゆるお寺などで嗅ぐお線香のような匂いですので、僕としては「お線香」と表現しても、あまり違和感はありません。
子どもの頃、若い頃はやはりこの手の匂いは年寄りくさいと思いましたし、だから好きではなかったのですが、僕のいわゆる配偶者がこの香りが昔から好きだったようです。
なので、我が家には白檀のお香があり、たまに焚いているうちに、僕もこの香りの良さがわかってきた感じです。
現代において、お線香を使用する場として多いのは、お寺やお墓で、故人の供養をする場面が多く、そこには成仏を願う気持ちが含まれているのだろうと考えると、お線香の香り、というのは、成仏を促すスピリチュアル要素のある匂いということになります。
特に、古くから人は、何事にもメッセージ性を見出してきました。花言葉なんかそうですし、色霊なんかもそうです。僕はそういうのは疎いですが、このように古くから愛され親しまれている香りには、おそらく個別のメッセージがあるものと思います。
そのメッセージが成仏なのだとしたら。そして、その香りに魅力を感じ、その思いが強くなっていく自分というのは、もしかしたら、知らず魂が成仏を願っているのか?
もしくは、そういう時がひしひしと近づいていて、そちらのセンサーが敏感になっているのか?
もちろん、死期が目前に近づいていることを無意識化で気付いている、みたいなスピリチュアル話ではなく、まだ人生駆け出しのピチピチだった頃に比べれば、もう人生を折り返しただろう年齢では、それだけ「あちらの世界」が近いわけですから、それを「匂わす」ことに興味が出ても、不思議ではないなと。
いずれにせよ、様々な刷り込み、思い込み、バイアスなどを排除して考えれば、白檀の香りは、けして不快な匂いではなく、むしろ人間が好む匂いだと思います。神聖に感じるのは、もしかしたらお寺や仏教というものと関連付けている刷り込みかもしれませんが、いや、刷り込みを抜きにしても、そういうことを感じさせます。
なぜなら、よくよく白檀の香りを感じてみると、別にお寺ではなく、教会であってもこの匂いは似合うように思えてきます。西洋の石造りの建物にも似合う気がしてきます。
ということは、刷り込みがなくとも、この香りにはそういう荘厳さ、かつ慈愛、のような要素があるんだろうと思います。
無音の中、たまにゆらめきながら立ち上る一筋の煙を眺めながら白檀の香りを嗅いでいると、時が止まります。
たまに、お線香の先の灰がポロリと落ちると、あっと思い、燃え尽きたのを見届けると、今ここにあった空間がなくなったのを感じます。
僕は、お香に詳しいわけではなく、他にも良い香木があるでしょうから、そのうちこれも、いわゆる配偶者と色々試してみたいと思うアイテムになりそうです。