幼少の頃、全自動運転の自動車、というのは当然、妄想の中にありました。
かの名作「ナイトライダー」がその根幹にあるわけですが、あの幼い妄想の中では、車が考えることで、まるで人として振る舞うことで全自動を可能にしていたわけで、まさに現代はナイトライダーの完成に向けて進化を続けている印象です。
ただ、その後、僕の考える自動運転の妄想は方向を変えました。少し大人になって、もう少し実現が容易そうな発想に落ち着いたというべきでしょうか。
その頃の妄想は、道路という道路に、今で言うICチップのような、情報交換が出来るものを埋め込んでおき、そこから得る情報に従って車が動く、というものでした。
そのぶんインフラ整備が大変で、道路という道路に埋め込む工事が必要ですし、交通安全を盛り込むのであれば、今のように車にカメラを搭載するよりも、道路をカメラで監視し、通過する自動車に指示を与えるべきだと思っていましたから、カメラの設置も必要です。
結局、世界は自動車を進化させ、自動車が自発的に動き、判断する方に向っていますので、僕の考えた妄想は、妄想のまま終わるでしょう。
もはや、ナイトライダーとまでは行きませんが、人と車は簡単な会話もします。人の言葉を受けて様々な動作を車がします。搭載したカメラで周囲を観察し、安全運転のために、運転者の負担軽減のために、車自身が判断し行動するところまできました。街がナイトライダーで溢れるのも、もうすぐですね。
ただ、ナイトライダーほどの能力を持った車が登場するのなら。
おそらく見た目は、あんなにカッコよくないでしょうね。むしろ運転は完全に車に任せるでしょうし、今よりももっと、人や物の輸送に特化し、スポーツカーのようなカッコよさはなく、ずんぐりむっくりした、まぁるい、または四角い、とりあえずたくさん乗れそうだなぁ、積めそうだなぁ、みたいなスタイルになっていきそうな気がします。
昔ながらの自動車が大好きな僕は、そんな将来を期待する一方で、僕が認識する「クルマ」というものが絶滅するだろう哀愁も、同じぐらい感じるのです。
これをちっちゃくした感じになってくんじゃないすかね?