経験していないはずの、旧き良き文化またはその雰囲気に憧れや、取り返しのつかないセンチメンタルな気分を味わうことがあります。
それだけその文化が社会に影響を与えたとか、そういうことであるのかもしれませんが、自分の経験を懐かしむならわかりやすいのに、経験のない文化に感じるとは、人とはややこしいものです。
で、その文化や雰囲気というのは、僕の父親世代、団塊と呼ばれる世代ですが、この世代が青春を謳歌していた頃、でしょうか。
もちろん、経験をしていないので実情は知りません。ただ、その時代がテレビの映像や、親が若い頃の写真などに写り込んでいるのを見た時、感じます。
便利、不便で言えば、今のほうが圧倒的に便利です。今に比べると未成熟な思想や考え方もあったと思います。不条理や差別もあったかもしれませんし、何より働き方はブラックだし、ハラスメントも今より圧倒的に横行していたのでしょう。
PDCAサイクルではないですが、人は問題を見つけて改善していくことで文化や文明も発展してきたのでしょうから、単純に計算すれば、昔より今、今より未来のほうが、何事においても「よい時代」であるはずです。
それでも、こうして過去に愛着を覚え、それを取り返すことが出来ないことに哀愁を感じるのも、おそらく普遍的に継続されているんだと思っています。
今、僕らが生きるこの色鮮やかな社会を、セピア色の記憶で思い返す人が、将来にはいることでしょう。
さて。
たまに旅行で地方に行くと、あの頃そのままの喫茶店だったり食事のお店があったりしますが、それらのお店がトレンドであったり、少なくとも「当たり前」だった頃。
その時代に僕が生きていたら、どう生きたのだろう、と思います。
もう少し、友人は多かっただろうか。
完全に社会から隔絶された引きこもりになっていただろうか。
ただ、僕の性格や考え方も、少なからず時代に影響を受けているでしょうから、その時に生きていれば、また今の自分とは違う自分なのでしょう。
そのような妄想は楽しいですが、おそらくいつの時代でも、うまく生きる自信のない自分です。
これはただ古いだけか…