先日、職場の人達と飲む機会があり、そこで知ったのだが、私の部署の長は、どうもあまり人望がないというか、あまり良い話を聞かなかった。
私は、数年その下にいて、どうも自分とウマが合わないらしい、というのは最近やっと悟ったのだが、そういう角度からその人を見つめたことがなかったので、目からウロコだった。
今までも、たまに個人からそんな話をもらうこともあったが、私自身が単純な心の作りになっているので、自分の上司について、有能とか無能とか、人望があるとかないとか、そういうことを考えたことがなかった。
長でいるには、長でいる理由があり、それはもっと上の方の人たちの選択であるわけで、私は与えられた環境で働く、ということしか考えてなかったし、意識して考えるほどのことですらなかった。
ただ、ブログでも散々言っているように、仕事に対して全く意欲が湧かず、自らも認める「給料泥棒」状態であることに、危機感を感じてはいる。
与えられた環境でただ働く、ということすら、出来そうにないからだ。
原因は、異動の仕方だと思っていたし、むしろその部署長は、私のようなクサレを押しつけられて困っているだろうなぁ、と思っていた。
ただ、傍から見ると、私が飼い殺されているようにも見えるらしい。
その見方は自分にとって新鮮だったし、かといって今さら燃え上がる情熱はもう無いなぁと感じつつ、そのように見てくれるみんなに、それとなく感謝するという、よくわからない状況だ。
少なくとも、現場目線では、私はそこまでクサレでもないようだ、というだけで満足である。
とはいえ、頭を抑えつけられている、という客観的な意見を頂くにあたり、その部署長は、果たしてどういうスタンスで仕事をしているのかが返ってわからなくなり、そうなると接し方もぎこちなくなっていそうで心配だ。
全然ミーティングもなけれぱ建設的な話もない状態だったので、努めて声をかけ、必要とも思えない報告をし、という感じで、少しは部署らしくしようとやっていたのだが、それも余計なお世話だったのかな、とか、そんなことも考えてしまう。
ま、飼い殺される環境こそが左遷であるならば、やはり自分は左遷されたんだなぁ、と、なんとなく腑に落ちてしまう。
それは、あの頃の会社の偉い人の意向なので、部署長は悪いわけじゃないし、だから部署長に対して不満に思うことも違うと思うのである。
結局は、自分なのだろう。