今月だけで、知人が2人、他界されました。
一人は同じ部署で、もともとは仕事の先輩。
病との付き合いがあったので一線から退き、立ち位置としては、今私のいるの部署で、私の下におりました。
この部署においても先輩でした。
異性であったせいもあるのか、そこまで親しく接してはおりませんでしたが、私世代の社員はみんな、お世話になっていた人でした。
年始に1〜2日ほど出勤してから体調を崩し、そのままとなってしまいました。
もう一人は、フィナンシャルプランナーという仕事になるのかな。保険でお世話になっておりました。
もともとは私の職場に中途で入ってきた人で、やはり年上でしたが、私の下にいた人でした。
うちを辞め、久々に連絡を取ったらそんなお仕事をされてました。
こちらも、親しくお付き合いをしていたわけではなかったですが、趣味が近かったこともあり、親近感は感じておりましたし、けして賢い生き方をしている人ではないようでしたが、ある意味で尊敬もできる人でした。
ご自宅で倒れ、発見時には数日が経過していたと聞きました。
どちらも、五十台。半ばと前半。
今の時代、あまりに若いと言わざるを得ない年齢でしょうね。
ただ。
自分がその時を迎える時にどう感じるのかはわかりませんけども「そういうストーリーだったのだろう」という感触が残っています。
私の父も、同じような年齢で他界していますが、やはり、そういうストーリーだったのだ、と、今さらながら思います。
生まれてきたことに意味があるのだとしたら、去ることもまた、意味があることなのかもしれません。
去ることに意味があるのなら、そのタイミングやシチュエーションは、全て何かに仕組まれているのでしょうし、その意味は、本人のみならず、残された人にもあるのでしょう。
特に、二人とも快活な人で、だからこそ惜しまれもするのですが、看取っていないせいなのか、亡くなった、という実感よりも、舞台から袖にはけていったような、そんな感覚のほうが近いのです。
変な言い方ですが、私も亡くなるときは、そんなふうに受け止めてもらえたら良いかもなぁ、などと、悲しむことを忘れてそんなことを考えておりました。