kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

どうでもいい話。

家相、という言葉があります。

 

家相がいい、とか、悪いとか言います。

 

また、人と土地の相性、なんて話も聞いたりします。水が合わない、というのも、そういう類の表現なんでしょうか。

 

そういう方面の話をすると、私は、今の住まいに越してから、総合的にはあまりいいことがないような気がします。

 

いいことを求めて住むわけではないので、正確に表現するなら、以前よりネガティブなことが増えたとか、運気が低迷とか、そういう表現になるのでしょうか。

 

 

よく仕事についての愚痴をブログに書きますが、愚痴のネタになるようなことは、ここに越してきてからです。

 

思えば、このはてなブログを始めたのも、そんな中で何か環境に変化を求めたという一要素もあり、なのでこのブログも、ここに越してから始めたことになります。

 

当時の職場、現場ででっかいトラブルが起きたのが今の低迷の始まりですが、それも越してきてからで、その後、その現場のアルバイトに後ろから刺され、左遷としか受け止められない異動があり、昨日書いたようによくわからない上司のもとにつき、うだつの上がらない部署で、給料泥棒のような生活をしています。

 

これらは、なるべくしてなった、というのが私本来の感想なので、住まいが別の場所、違った建物だったら起きなかったか、というと、それは検証がしようもなく、だから今まで思い至らなかったわけですが、ふと、ここに越した当時のことを思い出そうとしたら、こういう事実があった、という感じです。

 

 

あと数年もしたら、実家に戻るつもりでいるので、今ここで「相性が良い土地探し」みたいなことはするつもりはないのですが、こういう家相やら土地との相性があるのなら、私は間違ったのかもしれません。

 

だいぶ前に、土地神様がどこにいるかわからない、というブログを書いたのですが、あれも、一種の土地との相性問題のようなものであり、相性というより、受け入れてもらえてないのでは、という考えから、一度くらいは、または初詣ぐらいはしなきゃいけないよなぁ、という思いからの発想、行動です。

 

 

本当にこういう話があるのだとしたら、私は引っ越すまでこの状況が続くのでしょう。逆から発想すれば、引っ越したらまた何かが変わるとも言えますが、その頃には、私は“老後”というものを強く意識した生活をする年齢になっているでしょうから、あまり劇的な変化は望まなくなっているでしょう。

 

歴史上には、壮年や老年から活躍した偉人はたくさんいますが、私はそもそもそういう覇気はなく、そこに加齢からくる保身が加わって、どちらかというと穏やかな生活を求めるようになっており、老後に備えて、今解決できる問題を解決しておこうとか、なんか終活の一歩二歩手前みたいなことに焦点が向いています。

 

この場所に越して変わったことと言えば、自分の意識だけで、それも、意識に沿った生活にしたいがそれもままならない、という感じです。

 

 

ま、家相だの相性だの、というのは思いつきの発想なので、これらのせいにするつもりもありませんし、あくまでそこに住む人の問題なので、さらに発想を豊かにし、色々な角度から生活の改善を模索していかないとなぁ、という感じです。

 

仕事のことも含めて、自分の中での課題が3〜4つありますが、これは長い目で見つめていかないとならないことなので、当面は変化はないと思われます。

 

悩みのタネは、とある「金のかかる課題」を抱えており、金が貯まらない生活をしていることですかね。こちらは人生に渡っての課題とは少し違いますけども。

 

ま、夫婦で望んで取り組んでいる課題なので、割り切ってはいますが、これももう少し、続くでしょうから、出来る限り、それが報われるといいなぁ、という願望はあります。そのためには努力も必要で、お金がない生活に耐えるのもまた、ひとつの努力でしょうから、今後もブログでお金がない、お金がないとグチグチ書くと思いますが、よろしくお付き合いください。