kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

合うとか合わないとか。

ふと、日々の中でも、数日単位で繰り返す周期があることに気付く。

 

例えばここ数日は、ブログも更新したりしなかったりで、内容も、随分とネガティブである。

 

 

ネガティブな内容がいけないわけでもないだろうけども、そればかりになることは、私自身が望む形ではない。

 

一方で、自分なりには楽しく書ける時もあり、これも周期、バイオリズムというやつなのかもしれない。

 

 

もとがネクラなので、基本的にはネガティブである。

 

それじゃいかん、と、いつだったか思って、努めて明るく振る舞おうと思って今に至る。

 

もちろん、徹しきれず、表向きだけのことでもあるが、ずっとそうしていれば、いつか染みつくのではないか、と、自分なりの理屈である。

 

 

ただ、変な方向にねじれてしまい、外ではネガティブを抑えるほど、内ではネガティブというか、偏屈になっていっているのは、以前からブログでも申し上げている次第だ。

 

それもまた個性、と、割り切っていくことにしているが、まだそれが「染みついて」いないので、ふとした時に、「それでいいのか自分よ?」とか「老後が孤独になるぞ」とか、そんなことが頭をよぎる。

 

 

今のように、性に合わないと自分が思う仕事を続けているのは、おそらく苦痛で、だからネガティブに針が振れることも多いのだろうとは思うが、では適職はなんなのか。

 

傍目からは、私は今の部署に合っている、と見られていることが多い。内実はどうあれ、部署が担う仕事は、私に合っているように、まわりからは見えるということだ。

 

適職とは、自分から見て、なのか、傍目から見て、なのか。

 

苦痛を感じるなら、それは適職とは言えないと今は思うが、もしかしたら、自分が何かを見落としているのかもしれない。

 

自分を費やすに足る何かを今の職務が持っているのなら、ポジティブに、楽しんで仕事ができるのかもしれない。

 

 

いい歳こいたオッサンでも、こんなことを考えながら生活をしている。

こんなかんじ。