kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

どうでもよい話。

私の怠惰っぷりは、筋金入りです。

たまにブログで「自分は怠惰だ」と書きますが、自虐ネタでもなんでもなく、正真正銘、怠惰なのです。

怠惰グランプリとかあったら、けっこういい線まで行くと思います。


で。

自分自身の怠惰には、おそらくけっこう昔から気付いていて、中学生ぐらいの時には気付いていたと思います。

ただ、それは意識的にではなかったので、形としては「なんで自分にはみんなのように出来ないのか」という、悩みという形で存在しました。

そして、今に至るまで、ことあるごとに「怠惰を克服するために」能動的に動こう、と考えました。

結局、始まることすらない、というのが幾度もあり、始められたとしても、そう長くは続きませんでした。


例えば、私の平日は、自宅と会社の往復で、途中で寄り道をしません。

傍目には「マイホーム主義」とか「家族思い」と思われる行動ですが、実際はそうではありません。

寄り道が、面倒くさいだけです。

そこで、いい経験をするかも知れないとか、そういう何かとの出会いがあることも知ってはいますが、でも、それよりも、さっさと帰宅して、ダラダラしたいのです。


娘が生まれてからは、週末は娘に捧げる「いいパパ」に、傍目からは見えたかも知れません。

当然、違います。

そんな性格なので、自分個人の予定など、入れないのです。だから週末は空いていて、娘と出かけるとか、そういうことが出来るだけなのです。


いや、娘のためなら出かけたり遊んだりできるなら、それはパパじゃないか、という意見もあるかも知れません。というか、言われたことがあります。

ですが、これも違います。

娘は、私が怠惰から脱するためにやってきた試練のひとつで、自分の怠惰のためにしか動いてこなかった私が、どれだけ自発的に自分を娘に費やせるか、という、ひとつの修行だったのだと思います。

だから、けして楽しくてやっているばかりではなく、無理してやっている時もたくさんありました。



終わりのない話なので、締めくくりに入りますが。

そんなわけで、仕事でもそう、家事でもそう、勉強でもそう、とにかく怠惰なのです。


この「怠惰」というのは、私の人生のテーマなのでしょう。


克服すべきテーマなのか。

それとも、怠惰でい続けることがテーマなのか。


昔に読んだ漫画で、守護霊の性格が本人に影響する、なんて話がありましたが、すると私には、怠惰を善しとする守護霊がついているのでしょうか。

そして、このように「一般的な人の力ではどうしようもないところに原因を求める」ことこそ、怠惰である証でしょう。

いや、スピリチュアル的な事を否定はしません。が、自分ではどうしようもない所に原因を求めて「だからしょうがない」と言いたい人はいるもので、スピリチュアルというのは、そういう人の逃げ場所になりがちではあると思います。


科学的には、一昔前なら悪名高いロボトミー手術などがありますが、今は何なんでしょう。

催眠術なんかも、今では科学の範疇に入りつつあるような感じですから、催眠術も良いかも知れません。


いずれにせよ。

怠惰を克服するためには、怠惰に打ち勝つ方策を考えなければならないのですが、その方策を考えるためには怠惰を振り払って行動しないといけないわけで、私は最初の「行動をする」ために、ウン十年を費やしている、というわけです。

本当の怠惰は、外にも出ない。