戦国時代を舞台にした本や小説を読んでいると、敵味方の入り乱れ方が複雑なのがよくわかります。
昨日の敵は今日の友、という場合もあれば、その逆もある。
これは、勢力間だけでなく、武将、さらに無名な一個人間でもあったのだろう、と思うと、複雑な気持ちです。
こんなことをふと思ったのは、国際ニュースや、その関連記事を読んでいたからです。
宇、露、ともに、もとは連邦であり、わかりやすく言えば味方だった。
もちろん政治的な諸々はあったでしょうから、人同士が果たして仲が良かったかどうかはわかりません。
ただ、そのような経緯があるので、両軍の基本火力の大半は、旧ソ連製であり、言ってみれば同じものを使っているわけです。
今では、両軍とも随分と武器の国際色が強まっていますけどもね。
ミサイルなんかだとあまり感じませんが、例えば戦車同士が相まみえた時。
かつては共に連邦を守るために作られ、横に並ぶことこそあれ、正面から向き合うことのなかった「ウリ二つ」の戦車を思うと、その運命というものを思わざるを得ません。
実際に、肩を並べて戦ったことも、あるやもしれません。これは、軍同士が、というより、あくまでこの、相対した2両の戦車が、ということですが。
物言わぬ「機械」「兵器」だからこそ、なおさら、そこに哀愁があるように思います。戦車自体には、善悪の感情も、政治的な野望も、ありませんからね。
物に感情移入しているほど生易しい状況ではないので、不謹慎な話かもしれません。それらの戦車には生身の人が搭乗し、傷つけ合っているわけですからね。
ただ、破壊され放棄された戦車の横を、同じような戦車が通過する姿は、人に伝えるべき何かを示しているような気がした次第です。