なんとなく部屋でくつろいでいると、コバエが飛んでいた。
アースジェットを持って戻ってくると、今度はコバエが3匹ぐらい、カーテンの端から壁伝いに歩いているのが見えた。
カーテンの向こう側に、何かあるのか?
なんとなく嫌な予感がして、そっとカーテンをよけてみる。
そこは、窓はないのだが、通風孔がぽっかりと空いていて、それが見た目に良くないので、カーテンで隠していた部分だ。
通風孔から侵入してくるのだろうな、ぐらいに思っていたのだが、カーテンの向こう側にあった景色は、通風孔にぎっしりと詰まったコバエの大群。
まるで何かの生き物のように蠢いていて、私は思わず、うわぁぁぁ!と声をあげ、映画の中の、死亡フラグがたった一兵卒のように、ライフル代わりにアースジェットを乱射する。
攻撃されたことで動き始めるコバエ。
床一面にコバエの死骸。
それを踏んづけてしまうことも厭わず、私は後ずさりながら、襲いかかるコバエにアースジェットを吹き続ける。
…という、夢をみた。
そこで目が覚めたので、死亡フラグは立っていたものの、討ち死にの瞬間は味わうことがなかった。
コバエは、我が家の複数年に渡る課題である。
いわゆる配偶者とは生まれ育った環境が違うので、コバエ発生、に対する反応も違うし、発生源の追求、対策プロセスもちがう。
私自身はズボラだが、私の母は綺麗好きで、ちょっと過度なぐらいの人だったので、私は汚す人であったにも関わらず、人がどのぐらいで汚いと感じ、どのぐらいで危機感を持つのか、という基準は、母のそれに影響されている。
一方、いわゆる配偶者の家庭環境は、おそらく無頓着な側で、まぁコバエがワンワン飛んでいる中で暮らしていたわけではないだろうが、腐る、カビる、汚染する、といったことへのセンサー感度は、私より鈍い。
私は、自分がズボラなのを自覚しているので、汚れること、コバエが発生してしまうようなことをやらない、という方向にまず意識が働くし、何かをするにせよ、大変なことにならないか、というシミュレーションをする癖がついている。また、極力、汚染が広がらないようなやり方をまず模索する。
いわゆる配偶者は、典型的な「少しぐらいなら平気だろう」信者であり、「汚れたら洗ったり掃除すればいい」信者なので、私とは方向性がずいぶんと違う。また、汚れたら洗う、の、汚れたら、の基準も私と違うので、私が洗ってしまうこともある。
なので、家事への労働力分担とか、清潔へ費やすエネルギーとか、そういうのは全部抜きにして考えても、たぶん、コバエ発生の多くは、おそらく配偶者によるところがあると個人的には思っている。
ズボラで、ゴミ出し一つでも面倒臭がる私だが、生ゴミを室内に何日も放置は出来ないタチだ。
バスタオルは、使用後は毎回洗うのがベストであろうが、そうでなくても、ビショビショのものを換気扇の止まった脱衣所などに置いておくことは出来ないタチだ。臭くなる。
まぁ、こうして夫婦というのはセンスの違いを埋めていくのだろうけれども、最近、コバエに懐かれている私を少し、配偶者には気にしてほしい。