今週のお題「マイベスト家電」
ここ10年とか、そのぐらいのスパンで考えると、身の回りの電子機器の中では、圧倒的にスマホがその存在感を占めている。
進化の度合も圧倒的だし、さらに画期的であるのは、生活が便利になるための機能、つまりアプリのためのプラットフォームであるということだ。
スマホ単体でも確かにすごいのだろうけども、そのスマホという電子機器に乗っかる形で、様々な「便利」が日々、開発されている。
例えば洗濯機であれば、その機能はあくまで洗濯で、進化は、そのための便利さの追求である。
スマホ、それにスマホ上で機能するアプリ群と同じぐらいのインパクトを持って洗濯機が脚光を浴びようとするのであれば、やはり洗濯物を「干す」というところまで自動化するなどの画期さがほしいところだ。
違う形で追及するなら、日光で干したのと同等の乾燥機能を持つことが必要だろう。科学的に同等である、というだけではなく、人間の心理、肌感覚で同等でなくてはいけない。
電子レンジであれば、素材を投げ込んだら料理が出来る、ぐらいのインパクトが必要だろう。
掃除機については、全自動化しているものもあるので、かなりその域には近いものの、もう一声、例えば掃除のタイミングすらAIが適宜判断するとか、そもそも汚れないための対策を自動で実施するとか、そのぐらいのことが求められてしまう気がする。
もちろん、スマホだって、手が生えるわけではないし、足が出てきて、勝手に買い物をしてくれるわけではない。
それでもスマホが圧倒的存在感を独占し続けるのは、便利の追求を自分自身の中に収めておらず、世の中の「こういう便利がほしい!」を実行するプラットフォームであるところ、そして、そのために容赦なく家庭の域を飛び出し、世界、社会とつながるところ、便利を提供したい開発会社と繋がり、それを実現するところだろう。
考えてみれば、今でこそスマホというのは、パソコンすらも干されるのではないか、というぐらい、最先端電子技術の塊のような存在感だが、その名称が「スマートフォン」であることから、その出発点は、電話である。
洗濯機は洗濯機。冷蔵庫は冷蔵庫。
スマホは、電話であるべき「自身の殻」をぶち破り、電話から生まれた、進化した新しい存在として、スマホ、という文化を築いた。殻をぶち破り、自由に進化したからこそ、今の繁栄がある。
電話という、元の殻を見つめてみよう。
電話機はそもそも、電話という、ひとつの機能を持って、家庭、会社など、至るところに存在した。
それが、現代のスマホを眺めてみれば、そこでは、電話、という機能は、多くの中の「一機能」に成り下がり、さらには「通信の一手法」となり、今ではSNSの便利機能あたりにまで成り下がっている。
電話の機能のみを持って世に生まれた機器達は、その生息場所を追われ、かつて公共サービスであったはずの「公衆電話」まで、その使命を終えようとしている。
スマートフォンは、そのルーツである、電話を滅ぼすところにまで来ているのである。
だが。
ここまで語っておいてなんだが、スマホというのは、電子機器ではあると思うが、家電ではない。
家電というのは、家庭用電気機器、または家庭用電子機器ということであり、その言葉は「家庭用」「電気製品または電子機器」と、2つの属性を表している。
家庭用、という言葉は、家庭内で、とか、家族内で、という括りを表していると考えるのであれば、スマートフォンは「個人用」であり「家庭用」ではない。
だから、家電ではない。
余談になるが、昭和生まれの方々は、想像できただろうか。電話番号が、個人単位で割り当てられる未来を。
当然、独身、一人暮らしの場合は、電話をひけばその電話番号は自分個人のものであるが、結婚し、子供が生まれ、となれば、必然とその番号は「家族共有」のものになる。また、当時の場合、家庭内に何台も電話機があったとしても、それは1つの番号に対し電話機が複数あるのであり、それは親機・子機と呼ばれたりし、家の中の都合のよい場所で、共有する1つの電話における通話に応対できる、というものだ。今、会社などで使用する固定電話に近い。
そして、その電話番号ひとつひとつに、加入権と言うのだったか、電話を設置する権利が売買され、それが確か、今のスマートフォンぐらいの金額がかかったと思えば、不思議な一致でもあるし、それが個人単位になったと思えば、便利さにはコストがかかるものだな、と、改めて感じさせる。
今と同じ電話環境を当時に整えるのであれば、3人家族で3回線、加入権が7万と仮定しても、21万かかることになる。それでいて、その電話に出られる場所は、自宅内限定であるのだから、利便性は雲泥だ。
私は正直、このような未来は想像していなかった。
似たような便利さが発生するかもしれない、という、至極曖昧な想像ぐらいはできたが、それがまさか電話から始まるとは、つゆにも思っていなかった。
さて、語ると尽きないが、そもそも自分で「スマホは家電ではない」と言い切っているので、ここでのスマホ話はこのくらいにしよう。
というわけで、私の考える便利な「家電」№1は、先ほど少し触れた、全自動掃除機だと思う。
勝手に、家の中の障害物を避けながら床を掃除してくれるのは、手間ひまという意味では、他の家電から頭ひとつ抜けて便利だと思う。
まぁ、まだ人の手で行う掃除に比べれば粗末な部分もあるし、時間もかかる。
犬猫といったトラップにも弱く、私がずいぶん以前に買った某掃除機は、ひとたび掃除のために出陣すると、猫に遊ばれ阻まれ、自分の基地まで帰還することが出来ず、よくリビングの真ん中で充電切れで息絶えていた。犬猫、さらには幼児への対策(安全対策を含む)を万全にすれば、また一歩、全自動の地位をゆるぎないものにするだろう。
そして、スマホの圧倒的存在感を参考にするのなら。
現代における「便利」「画期的」というのは、持って生まれた宿命(=機能)から飛び出してこそ、発生しうる進化なのだと考える。掃除機のままではいけないのだ。
皿を洗うだけの食洗器では、スマホには勝てない。汚れたお皿を集めるところから始めるべきである。
食べ物を冷やすだけの冷蔵庫では、スマホには勝てない。冷やすべき食材を調達してこそ、画期的である。
そんな画期的家電がどんどん開発されたら。
私の生活がどれほど怠惰なものになるのか、ある意味で興味がある。