気がつけば、奥歯をギュッと噛み締めている。
そんな自分に気付いたのは、もう随分と前だが、いまだに、これは直らない。
じっと、耐えている。
恐怖とか、不安とか、漠然としながらも、いつもそばにある、そういう要素から。
臆病な自分を知っているので、あぁ、構えているなぁ、とか、肩肘はってるなぁ、とか、そんな感じで自分を見つめつつ、力を抜くよう努めている。
ただ、若いうちはよかったのだが、このようなこわばりは、体に障るようになったので、困っている。
異様に肩がこりはじめ、やがて首へと上がっていき、帰宅する頃には頭痛に変換されている。
肩をほぐそうとセルフモミモミすると、揉み返しがきて、余計に頭痛が酷くなる。
そして、最近、髪を短くしたのもまた、頭痛の発生に一役買っており、要は首すじが冷えるのである。
いずれにせよ、このこわばりを、どうにかしないといけない。
気付けば深呼吸をしたり、体の各部位をダルンダルンと振って、力が抜けるように意識しているのだが、気付かないことには、どうしようもない。
ただ、何かに怯えていることに気付き、その原因が何なのかを考え、的確な対処をしていけば、頻度は減るのだと思う。
そういう意味で、この頭痛、肩こりは、自分が気付きを得るためには必要なものなのだろう。
ところで私は、医者から診断はされていないものの、おそらく一部の薬にアレルギーがあり、鎮痛剤の類は、ごく限られたものしか服用できない。そして、それがまた効かない。
頭痛により気付きを得るにはよいが、そのような事情で痛みは放置せざるを得ないので、眠れないほどの激痛になってしまったら、
何か、バチが当たっているのかな、と。
気付いて何もしないのは愚かなことであるが、多分、そういうところのバチなんだろうな、と思う。
気付きを得るための頭痛。
その頭痛を減らすには、体をほぐすとか、力を抜くとかの対症療法ではなく、そもそも、そのように体がこわばる原因を取り去らねばならないわけで。
怠惰な人間はそれをしないから、バチが当たっているのである。