今週のお題「買いそろえたもの」
例えば、漫画とか小説とかなら、いくつかは買いそろえたことがある。
横山光輝三国志は、揃え甲斐があった。
一方、JOJOは、いつまでも終わらないので意識的に断念した。
また、こち亀も、もう一人の自分が「やめておけ」と囁いたので、集めなかった。
ただし、買い揃える、というのは、それで完全体、完璧、不足はない、という状態を指すのだろう。
私は、横山光輝三国志を買い揃えて、横山光輝が「史記」も漫画化していることを知って、そっちに手を出した。
JOJOは断念したものの、同作者の短編集とか、そういう方に手を出した。
このように、買い揃えて「満足」というシーンが、あまりないように思うのだが、どうだろうか。
私は昔、バンドを組んでいたことがあるが、楽器など、とりあえず音が出てバンドで合わせることが出来る、というところがゴールであればよいが、そうであることはまずなく、その人がバンド活動を経て成長するほどに「足りない」と思うだろう。欲しいもの、持つべきものがどんどん増えるだろう、と思う。買えば買うほど揃わなくなる、という魔境に堕ちていくわけである。
これは、楽器に限らずそうだと思う。学問でも、スポーツでも、芸術でも、文学でもそうではないだろうか。
その道を極めた人の話などで、費やしたお金はまさに一財産といっていいほどの額であることは、よくある。
ただ、買い揃える手段としては、今は、スマホさえあればどうとでもなるような気がする。
本屋をハシゴしなくても、欲しい本を探せる。
掃除機だろうが洗濯機だろうが、楽器だろうが、新品だろうが中古だろうが、探せる。
なので、とにかく、スマホはちゃんとしたのを選んでおけ。
これがオジサンからの「これだけは揃えよう」である。