私の遺伝子を継ぐ存在は、中学1年。
来月には2年生になるわけだが、こういうご時世なのでイベントごとがなく、いわゆる保護者である私が学校を訪問する機会がなかった。
この度、学芸発表会の代わりの催しとして、美術や家庭科などで製作した作品の展覧会のようなものがあり、三学期にして、初の学校訪問をした。
とはいえ。
この学校は私の母校でもある。
実は小学校も私の母校だったのだが、校舎から何からキレイになっていて、その実感は乏しかった。
だが、中学校は、私が過ごした校舎がまだ残っている。外壁を塗りなおしたりはしているが、姿形はそのままだったので、当時の記憶が呼び起こされて、良い時間だった。
夢にたまに出てくる、昇降口前。
その時々で登場人物は違うものの、この景色を舞台に物語が進む夢を、よく見たものだ。思わず、写真に収めてしまった。
そんな感じで、展示作品もそこそこに、不審者ギリギリの範囲で校庭だの校舎裏などを徘徊したわけだが、もうひとつ、思わず写真に収めてしまったものがある。
たぶん、外履きについた泥などを落とすための、足ふきマットだ。教職員通用口の前にあり、そのまま隣の校舎の入り口につながる外通路に敷いてあった。
この色味。ゆがみ具合。
確信できる。これは、私がいた頃からのものが、まだそのまま使用され続けている。
私がいた頃から既にこの有様だった。
もはや泥を取るブラシ部分は皆無で、ただの針金マットである。ただ、針金だからこそ頑丈で、いつまでも壊れず、よって買い替えも行われないのだろう。
思い出すこともなかったこの足ふきマット。
二度ほど気付かず通過し、三度目に通りかかった時に視界の隅に入った途端、視点は違うところにあり、心も違うところにあったにもかかわらず、ぞわっと鳥肌が立った。
あった!こんなの確かにあった!
心がそう叫んだ。まさに私の「エモい」を正面からえぐった。
野球部だった私は、やたらこいつにスパイクがひっかかり、けっつまずいていたものだ。運動靴の時は、泥が取れているかどうかもわからないが、とにかくこすりつけたものだ。
数十年の時を経て、まさか現物が残っているとは。
なんとも言えぬ愛しさと郷愁が、私を襲った。
このマットは、いつまでこの学校で活躍を続けるのだろう。
そして、このマットに、私と同じように愛しさと郷愁を覚える人が、どれだけいるだろう。
このマットは、どれだけの人の「中学生時代」を見つめてきたのだろう。
もしかしたら、私の遺伝子を継ぐ存在も、大人になってからこのマットと再会し、同じ気持ちになるかも知れない。
ちなみに、今でも同じ物が販売されているのか気になったので調べてみたら、あった。たぶんこれだ。著作権とかよくわからないので写真は載せないが、むしろ「元はこうだったのか」と、今知った。
標準小売価格が5,500円(税抜)。
いい値段するのね…。
※万が一、気になったら「スマートスクール」というサイトで探してみてください。