kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

地元自慢ミス。

今週のお題に参加しようかと思ったのだが(地元自慢)、全然、自慢にならないので、普通のブログとして書くことにした。

だらだらと、文脈もなく書き連ねている。


私の地元は、東京都内にある。

都心からも電車でそうかからないし、かといってビル群があったり繁華街であるわけでもなく、程よく郊外の雰囲気を漂わせる街だ。だんだん空が広くなってくるあたりとでも言おうか。

都心方面に出かけるなら電車、近所や郊外方面に出かけるなら車、そんな境目にあるような街かなぁ、と思う。


特徴というものは特になく、強いて言うなら、都心とか、下町エリアに比べると、おっとりした街だと思う。

まぁ、東京都内の各地域との比較になるので、他県から見たらどうなのかはわからない。

今現在、私はその街から出てしまっているが、近隣におり、いずれ、戻ることにしている。


そんなのが、私が地元に持つイメージであるが、私が幼少の頃から、街の置かれる状況は変わっている。

戸建てが減り、集合住宅が増え、その分、相対的に地元由来の人、というのが減ってきていると感じる。


まぁ、もともと、そういう位置づけの街ではある。

仮の住処、とでも言おうか。

永住の地、であることが少ないと思われる。


昔ながらで言えば、大人になり、または大学生などになり、実家を出た際に住み始める街として選択されることが多いのではないか。その後、地元に戻ったり、別の場所に「終の棲家」を購入し、そちらに引っ越していく。

だから、何代にもわたってここを地元とする人はそう多くない。


私の小学校時代の同級生も、ほとんど地元にはいない。皆、親が「終の棲家」を得て、引っ越していった。

そんな彼らがまた、仮住居としてこの街に来ることも考えられるが、それは進路との相談なので、どうなったかは知らない。


都会と郊外の境目のような位置なので、おっとりしている反面、近隣住民とは疎遠になっていくという、都会のデメリットも持ち合わせている。

それでも、まだ私の親世代は、駅前などで立ち話をする機会もあるようだが、その世代がいなくなった頃には、ご近所付き合い、というのは、絶えてしまうのではないだろうか。

見知らぬ人同士が、見知らぬ人同士であるまま、街を形成している。

そんな感じだ。


そんな状態であるせいか、地元愛がある人はそう多くない、と思う。

皆、自分の地元は別にあり、また、この街に骨を埋めるわけでもないからだ。


私が地元の街を離れるぐらいから気になっていることがある。

仮住まいの土地だからなのか、日本人のモラルが低下しているからなのか、私の幼少の時代に比べると、街が汚れている。

道端に落ちているゴミが増えた。また、違法駐輪もだ。そして、それをどうにかしよう、という「地元民」も、私を含めてだが、いない。

この街は、立地的に、そのように運命づけられているのであり、おそらく、その時々の情勢により、よく言えば柔軟にそのスタイルを変えていくし、悪く言えば、守られもしない。

商店街もあるにはあるが、世代交代で、だいぶ店が変わった。子が継ぐのではなく、空いた物件に無関係の店舗がまた入る、という感じだ。これも、だいぶチェーン店が増えた。


という具合に、あまりいい話が出てこないのが私の感想であり、しかし、そこに地元民としている私である。


いい話を探すのであれば。

仮の住処であったとしても、それが生涯プランであったとしても。

私の同級生のように、この街で、子どもから大人になっていった人はたくさんいると思う。

住むことはないにせよ、自分にとって大事な場所、思い出の場所。

そういう風に思ってくれている人は、私の想像より多いんじゃないかと思う。


終の棲家ではない。

地元でもない。

でも、多くの人が「通過」した街であり、それらの人の中には、この街の記憶が残り続ける。


それを、居座って生涯、眺め続けるつもりの私である。

地元だからこそ、というべきか、写真がないなぁ。これは今住んでいる所の、ある日の空。