カレー。
ミートソース。
中華スープ。
うどん。
あとは何かあったかなぁ。
あげパンは、最初は好きではなかったが、高学年の頃には好きなメニューになっていた。
しかし、メニューからは少し外れるが、あの「給食当番」というのは、思い出すにつけ、過酷なものだったと思う。
当時、小学校の1クラスはおおよそ40人からの生徒がいた。そういう世代である。
そして、給食当番が配膳というか、盛り付けを行っていた。まぁ、これはたぶん今も変わらないだろうと思う。
さて。
例えば、カレーのルーとかスープとか、自分の身長の半分ほどもある寸胴鍋の中身を、ろくすっぽ料理も出来なきゃ算数も出来ない小学生が、40等分して平等に配分するなど、どだい無理な話である。
私は記憶にないのだが、あれって、何かはじめに「こつ」のようなものを、先生などから教わるのだろうか?
「おたま1杯半で配分していくと、ちょうど40人にいきわたる」
とか、
「いや、最初はみんなにおたま1杯にしておいて、おかわりジャンケン用にある程度ストックしておく」
とか、
なんか、そういうコツというか、ルールがあったのだろうか。
私は小心者で、確実に行き渡るように配分するタチだから、ほぼおかわりジャンケン用のストックができたものだ。
が、逆に、足りなくなってしまって各クラスをまわって余りを集める給食当番もいたものだ。あれはかわいそうな話だったと思う。
話がそれてしまった。
そんなわけで、私は、盛られた分で食事をまかなう、という癖が小学校の頃からつき、カレーにおいても「なるべく少ないルーでたくさんの米を食う」という努力をしてきた。
おかげで、オッサンになる今でも、おそらく一般的な一人前分のカレールーで、米は倍いけるようになった。外食でカレーを頼むと、だいたいルーが余る。
全然お得なスキルでもないうえに、オッサン化してからは、そのような食べ方は体のいろんなところに不具合が出てしまい、健康診断で冷や汗をかくことになるので、封印している。
しかし、給食というのは、大人への第一歩である。
私もそうであったし、我が遺伝子を継ぐ女子、いわゆる娘もそうであったが、給食と共に、食べ物の好き嫌いは減少していったと思う。さっきの揚げパンの話ではないが、最初は嫌いだったり好きでなかったものが、いつしか好物になっていたりはしたものだ。
今の小中学校では、給食を全部食べるまで帰らせてもらえない、などは、やはり虐待とか体罰問題とかで、ないのだろうか。
あれが嫌だからこそ、気合で食べる、というスキルも身についたと自分では思っているが、当事者にはたまったものではなかっただろうなぁ。
そんなわけで、好きだった給食メニューというより、給食にまつわる思い出話、みたいになってしまったが、以上が私の給食話である。
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